おはようございます!
だんだん寒くなってきました。
イソジン吉村がまた何か言ってましたが、
ひろかわ整体院は今日も元気に営業です。
今日は死生観について書きたいと思います。
この仕事をやらせて頂いていると、
どうしてもクライアントさんの死と関わることがあります。
なんとか起死回生の逆転回復を願われる方が殆んどですが、
なかには、もう回復の見込みはないんで、
せめて苦しまないように逝かせてあげたい。
という依頼も御家族から結構頂きます。
死んでもいないですが、生きてもいないというクライアントさんです。
終末医療と呼ばれてるやつですね。
絶対に助かる見込みがないクライアントさんを、
回復の見込みがあるといって膨大な医療費をつぎ込むやつです。
話がそれましたが、
そんな時に調整を依頼されることがあります。
当然遠隔調整になるのですが、
亡くなる前に、一時的に元気になったり意識を取り戻されたり、することがあります。
よく聞く話ですよね。
家族にお別れを言うために等の
精神論的な理由付けをしがちですが、
それは置いといて、
私も調整しながら、そこの理由がよくわからなかったのですが、最近思うことがあります。
体力です。
亡くなるにも体力がいるんです。
薬物中毒になるのに根性がいるように。
体力を蓄えて、さぁ逝くぞ!!
って感じにです。
走ることを死とするならば、
助走をしている状態だと思います。
ですので、そういう時の調整も、全体を調整しながら、そのクライアントさんの体力を蓄えられるようにエネルギーが促して動いてくれます。
調整が上手くいくと、
クライアントさんの右の大胸筋辺りを
エネルギーで抜いてくると、
真っ暗な情景の中に色んな色の光がみえるんです。
その情景と似た絵を黒板画として描いている人間がいます。
シュタイナーですね。
シュタイナーの黒板画を初めてみた時に、
そうそうそうと思ってしまいます。
正確には少し違いますが、だいたいこんな感じです。
強いて言うならもっと花っぽい光です。
シュタイナーは死ぬ人間の何かが見えていたのかもしれませんね。
左(心臓)ではなく右なんです。
キリストが言った有名な言葉があります。
「愚か者のハートは左に、賢者のハートは右側にある」