前の投稿で「きちんと見るようになったのは1984年のロサンゼルスオリンピックから」と書いた。


昨今オリンピックの商業主義化が危惧されて久しいが、そのスタートとなったのが1984年のロサンゼルス大会だったのだとか。


そもそもオリンピックは開催地が運営費用を全額負担していたことに加え、1972年のミュンヘン大学でのイスラエル代表選手団へのテロ攻撃や1976年モントリオール大会の巨額赤字などによる開催地立候補の激減し、1984年大会の開催地立候補はロサンゼルスしかなかったらしい(1980年大会はすでにモスクワで決定済み)。


そこでロサンゼルス大会では、税金を使わずにテレビ放映料、スポンサー協賛金、入場料、記念グッズの売上金により運営され、結果的に400億円の大黒字で終わり、この成功をきっかけにその後のオリンピック開催が商業主義に傾向していき、それにより放映権を取得したメディアやスポンサー企業の力が開催時期や競技スケジュールなどに大きく影響するようになったのだとか。


本来ならアマチュアスポーツの祭典であるオリンピックであるはすが選手本位からかけ離れ、巨額の利権が動く商業イベントに化けてしまったのである。


ただ巨額の開催資金を提供するメディアやスポンサー企業のおかげで開催できているわけで、致し方ない事情もある。


そんな商業主義的な事情に関わらず…というより全くおかまいなく、とにかく「オリンピックに出たい」「オリンピックでメダルを」と人生をかけて生きているスポーツ選手達がいることも事実ではある。


今一度、本来のオリンピック憲章に立ち返りその意義について見直す段階にきているのではないかとも思える。