日本では、過去30年間、経済の成長が止まったままです。GDP (国内総生産)は完全に横ばいのまま、その上賃金も横ばいのままです。
一方、他の国々、OECD諸国は、すべて経済成長を続けています。GDPが2倍以上になった国もあります。
なぜ日本だけが成長できないのか?とても不思議なことではないでしょうか。
この30年間で、日本ではどんな変化が起きたのかを、探ってみることが重要です。
その変化とは、科学の進歩と技術革新による、急速な生産能力の向上です。産業界において、ものすごい生産能力の向上が起きているのです。
例えば、自動車工場の生産ラインでは、人間に代わってロボットが主力になって生産をしています。
組み立てロボットが自動車を組み立て、溶接ロボットが溶接し、塗装ロボットが塗装するというように、それまでの人間による労働が、機械、ロボットにどんどん置き換えられているのです。
この変化によって、生産現場では、この30年間で、相当数の人間の労働が削減されたのです。
この変化は、自動車工場だけではなく、家電工場、食品工場、繊維工場その他、ほぼすべての生産現場で起きていることなのです。
こうして、不要になった労働者は、すぐに解雇されるわけではありませんが、定年退職者が出ても、新しい人間を補充しなかったり、あるいは、有利な条件で希望退職者を募ったりと言う方法で、徐々に人間の削減を行ってきたのです。
さて、人間の労働を、機械、ロボットに置き換えると、機械、ロボットには賃金を支払う必要がありません。
それまでの人間の労働者には、賃金を支払っていたのであり、その賃金の中から、社会保険料と税金が公的機関に支払われていたのです。
ところが、賃金を受け取らない機械、ロボットは、当たり前のことですが、社会保険料、税金は支払いません。
さらに、賃金を受け取った労働者は、消費を行いますが、賃金を受け取らない機械、ロボットは、消費はしません。せいぜい、油と電気を食うぐらいです。
機械、ロボットが発達し、人間の代わりに労働を行うようになると、以上のような変化が、世の中全体に起きるのです。
しかも、先程の自動車工場のように、かなりの数の人間が、この30年間で削減されてきたのです。
ところが、人間の労働が機械、ロボットに変わっても、生産力は全然下がらないどころか、むしろ高くなっているでしょう。
生産力は高くなるのに、消費が落ち込み、納税額や社会保障費は減るのです。このような有様の国家の経済状態はどうなるでしょう?
生産力が高いのに、消費が落ち込めば、デフレになるしかありません。税金や社会保障費が減れば、財政赤字になるしかありません。
これはまさに、この日本の30年間の歩み、そのものではないですか?
しかし、次のような反論が起きるでしょう。「そうはいっても、日本の失業率は3%前後とかなり低いではないか。結局、
機械、ロボットに仕事を奪われても、他の仕事に就くことができているわけだから問題は無い。」と。
なるほど、失業率から見ると、他の仕事に就くことができているだろうが、それはいったい、どんな仕事だろうか。
明らかに、非正規労働者になっているのです。1990年代には、非正規労働者は、全労働者の約1割程度に過ぎなかったのに、それが現在では4割以上に達しているのです。
30代、40代で、50代の立派な壮年が、非正規になり、収入は正社員の半分程度で、社会保険にも加入してもらえない上、不要になれば簡単に解雇されると言う身分です。これでは、失業ではないまでも、半分失業状態と言えるのではないでしょうか。
4割以上の人たちが、半分失業状態なのです。これではやはり、消費が旺盛になるわけもなく、また、この人たちの納税額は少ない上に、社会保険料は収めないのだから、国家財政は赤字になるしかないのです。
さて、日本はデフレで、しかも経済成長がストップしている原因は、以上のことから理解できるでしょう。
機械、ロボットが飛躍的に発達し、極めて高い生産力を発揮しているのに、国民全体の収入が逆に減少してしまっていることにあるのです。
おかしいではないか?科学、技術が進歩すれば、社会は豊かになるはずです。ところが、日本は逆に貧しくなっているのです。
すなわち、科学、技術の進歩を豊かさに結びつけることができていないのです。
どうすれば良いのか?もちろん、個人や企業などの民間に、この問題を解決する力はありません。政府にしか解決できません。
生産力が高まるのに、国民の収入が減っていく現象を治せば良いのです。
すなわち、生産力に見合った収入を国民に与えるのです。供給力に見合った需要力を国民に与えることによって、デフレを解消し、経済が成長するように仕向けるのです。
政府は国債を発行して財源を作り、財政出動するのです。社会保障や公共事業に注ぎ込むのです。手っ取り早いのは国民への給付金です。減税も効果があります。
このようにして、国全体の生産力にふさわしい可処分所得を、国民に与えるのです。
生産力こそが、その国の経済の実態です。お金がいくらあるかは問題になりません。お金は刷ればいくらでも作れるのです。
まさに、国債の発行は貨幣の発行と同等なのです。国の借金ではありません。
その証拠に、国債の保有者は、これを財務省に持ち込んで、返済してくれと言うものは1人もいません。国債は立派な金融資産として、国債市場で売買され、世の中をぐるぐると回っているのです。