経済を成り立たせているのは生産です。
生産があるからこそ、生産したものを取引、分配するための貨幣が価値を持ち、経済活動が成り立つのです。
当然、生産が全く行われない世界においては、貨幣は価値を持ちません。売買するモノ、サービスが全くないのだから、いくら貨幣があっても、それはただの紙屑にしかなりません。
以上のことからわかる事は、我々は経済について考えるときは、まず生産がどのような状態にあるかについて、探るべきでしょう。
生産の状態を全く無視して、いくら貨幣について考察しても、それは何にもなりません。そうであるのに、政治家も官僚も経済学者も、みんな貨幣についてしか考えようとしません。
ただ、お金の計算ばかりしていますが、これは全くの本末転倒と言うしかありません。
その生産の様態ですが、近年の科学、技術の進歩発展は著しいので、国全体の生産能力は、急速に向上しているのです。この生産能力の著しい向上に注目しなければ、一国経済(マクロ経済)の様態を解明する事は不可能です。
科学、技術が進歩すれば、機械の性能が良くなるのは当然であり、さらにコンピューターの性能も加速度的に進歩しているので、この機械とコンピュータを合体させた生産設備は、破格の生産能力を発揮しています。
これをもっと発展させた、ロボットやAIも、どんどん生産現場で活用されています。
生産におけるこの20年、30年の凄まじい変化が、日本経済にとてつもない影響を与えていることに、我々は気づかなければなりません。
工場では、優れた生産設備は、以前と比べその何倍もの効率を上げることにより、急速な人員削減が可能になりました。
自動車工場、家電工場、食品工場、繊維工場などを覗いてみると、ほとんど機械やロボットが生産を行っていて、人間の姿はほんの少ししか見当たりません。(YouTubeで工場の中を覗くことができる)
これが、この20年、30年間の著しい技術革新の成果であり、変化なのです。
思い出してほしいのは、1990年代後半から、2000年代前半にかけて起きた、凄まじいリストラ(人員削減)の嵐です。
毎日のように、大手メーカーの希望退職者を募るニュースが、飛び交っていたではないですか。〇〇自動車、〇〇電気、さらには〇〇銀行などなど。
大手企業は、さすがに世間体を気にして、割増退職金を提示しての退職者募集でしたが、中小は、陰湿な嫌がらせをして、無理矢理辞めさせるような現実が、週刊誌やテレビ新聞などで盛んに報道されていました。
これらのリストラ(人員削減)は、バブル崩壊後の不況によるものと、多くの人々は考えたでしょうが、本当はそうではなかったのです。
科学の進歩と技術革新による、著しい生産能力の向上によって、人間の労働が不要になっていく過程だったのです。
そして、この人間の労働の不要は、現在まで連綿と続いているのです。
ここで反論がわき起こるでしょう。
「何を言うか、現在の日本は大変な人手不足状態ではないか。人間の労働が不要とは、とんでもない考え違いだ。」と。
いえいえ、本当に人手不足なら、労働力の奪い合いが起きて、必ず賃金が上がるはずです。それなのに、日本では30年間も賃金が上がらないままです。
高い有効求人倍率に騙されてはいけません。多くの職場では、過酷な労働の割に賃金が安いので、大半の人々がすぐに辞めてしまうのです。
そうすると、再び求人募集を出すが、またすぐに辞めるので、また求人を出すと言う繰り返しで、必然的に有効求人倍率が高くなっているのです。
本当の人手不足ではありません。技術革新による「人余り」現象が長く続いたので、日本経済が根底から狂ってしまったのです。
その狂っていく順序は、次のようなシステムによります。
工場で、新たに開発された優れた機械を導入すると、何人かの従業員が不要になります。そこで人員を削減しますが、新たに導入した機械には、当たり前ですが給料を支払う必要はありません。
給料を受け取らない機械は、所得税、住民税を納めません。なおかつ、社会保険にも加入しないので保険料も納めません。
ところが、新しく導入した機械は、確実に人間以上の生産能力を発揮します。この時、機械導入前と導入後で、経済社会にどんな変化が起きているでしょうか?
生産能力は向上しているのに、国に収められるはずの税と保険料は減ります。このことは、明らかに国家の財政を悪化させます。
さらに明らかな事は、給料を貰わない機械は、消費をすることができません。そうすると、国全体の消費(需要)は減退します。
以上まとめると、優れた性能を持つ機械を、日本中の多くの工場で導入すると、国全体の生産能力が著しく向上するのに、それに反比例して需要は落ち込み、かつ、国の財政は逼迫し、財政赤字が増大するでしょう。
そして、この国の経済状態は、明確なデフレ不況にならざるをえません。こうなれば、構造的なデフレ不況であり、金融政策で解消できるものではありません。
最後に、年金政策の間違いについて触れます。
就業者何人で、年金受給者何人を支えているか、と言う計算の仕方を政府は取ります。(賦課方式)
例えば、現在3人の就業者が、1人の年金受給者を支えているとすると、3人の就業者から徴収する年金納付額と、1人の年金受給者の受取額を等しくするような計算の仕方をします。
さらに、将来的に2人で1人の受給者を支える見通しであれば、この点も受給額の決定に反映されます。
以上のような年金政策が、大間違いであるのは明らかです。なぜなら、例えば工場で働く労働者は、金槌やペンチなどの道具だけを使って、仕事をしているのでありません。
コンピューター制御の工作機械やロボット、その他の非常に生産性の高い設備を使用して生産しているのです。
これらの機械、ロボットの生産力を、人間の生産力に置き換えて考えなければなりません。
すなわち、労働者10人の工場でも、実際の生産力は20人、30人分の労働者の生産力に匹敵する成果を上げているはずです。
しかし、機械やロボットは給料を貰わないので社会保険料を納めません。
ここに、生産力に合致した保険料が国に収められないことになるのです。本来なら、30人分の生産を行う工場でも、労働者は10人なので、10人分の保険料しか収められないのです。
ここで気をつけなければならないのは、両者の生産力は同じであると言うことです。それなら、同じ30人分の保険料が収められたと、国は判断して良いのです。
生産を行うのは、人間だけではなく[人間+機械]です。それなら、人間の数だけで、年金の支給額を決めてはいけません。
[就業者数]と[年金受給者数]の割合だけで決めるのではなく、[就業者数+機械の能力]と[年金受給者数] の割合で決めなければなりません。
この時、機械の生産力が本来納めるはずの保険料は、政府が持っている通貨発行の権限を行使して、生み出せば良いのです。
その生み出す方法は、国債の発行です。国債発行と通貨発行は同等だからです。
以上の考え方の根拠は「経済を成り立たせているのは生産である」によります。科学、技術が進歩すればするほど、貧しくなっていく日本は、あまりにも愚かです。
