ほぼ全ての日本国民は、国債は国(政府)の借金であると思っているが、これは間違いである。
  今から、その根拠を説明しよう。
  日本国において、通貨を発行しているのは、唯一日本銀行だけだ。それ以外に通貨を発行している機関はない。
  では日本銀行は、どのような方法でお金を発行しているのか。多くの人が勘違いしているようだが、日銀は、ただお金を刷って、それを世の中に送り込んでいるわけではない。日銀には、そんな権限はないのである。
  日銀は、世の中の債券や手形等の負債を買い取っては、それと同額のお金を相手に支払うことによって、世の中にお金(日銀券)を供給している。
  旧日本銀行法第32条に(日本銀行は銀行券発行高に対し同額の保証を保有することを要す)とあるからだ。
  したがって、日銀は、ただ印刷機を回してお札を刷り、それを世の中に送り込む事は、絶対にできない。
  現在、日銀は莫大な額の国債を、銀行などから買い取っては、それと同額の銀行券を、支払うことによってお金を供給しているが、それは以上の理由があるからだ。

  さて、それではなぜ、日銀はそんなにまでして、世の中に大量のお金を供給しなければならないのか?
  それは、時代とともに常に、生産が増大し、経済が発展するからだ。国内総生産(GDP)の推移を見ると、一目瞭然である。

  戦後間もない頃の、1955年当時、8.6兆円であったGDPは、1997年には521兆円にまでなっている。
  42年間で実に60倍にもなっているのだ。これは、モノやサービスの生産量が、60倍になったと言うことだ。
  生産量が60倍になったのなら、当然その生産物を売り買いする上で、お金も増えなければならない。
  生産物は増えたのに、お金の量が増えなかったなら、取引、売買する上で大変な支障が生じることになる。
  そこで、統計を見てみると、世の中に出回るお金の量(マネーサプライ) は、1955年の4.3兆円から、1997年の569兆円と約132倍になっている。なるほど、このぐらいお金が増えなければ、一国の経済がスムーズに発展する事はなかっただろう。

  さて、ここで重大な問題が、発生していることに気づくだろうか。
  唯一のお金の供給機関である日銀は、ただお金を刷って、これを世の中に送り込む事はできない。
  
日銀にできる事は、手形や債券などの、世の中の負債(これを買い取れば資産になる).を買い取ることによってしか、日銀券を供給する事はできない。
  しかも、大量にお金を供給する場合、民間が発行する手形や債券を、買い取っていたのでは、とても追いつかなくなる。
  誰かに大口の債権を、発行してもらい、それを買い取らなければ、大量のお金を供給することができない。
  その大口の債券として、最もふさわしいものは、国が発行する債券である国債である。国債は、毎年数十兆円も発行されるので、日銀にとって、大量にお金を供給する上で、非常に都合が良いのだ。

  このように、日銀は、GDPが60倍にもなるほどの猛烈な経済発展に対して、政府に国債を発行してもらい、それを買い取ることによって、132倍ものマネーサプライの増加を成し遂げ、日本の経済成長をうまく支えたのである。

  したがって、国債は借金ではない。お金を増やす上で、どうしても必要なものだったのだ。これは政府と日銀の、連携プレーと言うべきものである。
  [政府の国債発行+日銀の国債買い取り→大量のお金の供給]
  この方法しかなかったのである。

  しかし、政府は国債を国民に売り、確かに国民からお金を借りたのだから、やはりこれは借金ではないか、と言うのであれば、次のように説明することができる。

  世の中には2種類のお金があると。
  第一に、中央銀行が世の中の負債を買い取ることによって発行するお金(10,000円札、1,000円札等のお札)。
  第二に、政府が直接発行するお金(500円、100円、10円などの硬貨のこと)日銀が発行するお金の量に比べると極めて小額。

  1882年、明治15年に、日銀が創設されて以来、政府は1度もお札を発行していない。
  政府が発行するお札は、政府紙幣と呼ばれ、かつて、明治新政府はこの政府紙幣を発行して財源とし、明治維新を成功させた。
  しかし、政府紙幣は、政府が直接発行する紙幣だ。すなわち、ただ紙幣を印刷して、これをそのまま政府が使用するのだ。
  当然、政府は、この便利な権限を乱用する危険性がある。お札を刷り過ぎて、社会を悪性インフレに導く恐れである。
  
  そこで、政府は明治15年に、中央銀行である日本銀行を設立し、紙幣の発行権限を、日本銀行に完全に委譲したのである。
  ただし、硬貨の発行権限だけは政府に残した。

  先にも述べたように、中央銀行である日銀は、日本銀行法によって、日銀券を発行するためには、同額の保証を必要とする。
  すなわち、世の中の負債(手形や債券)を買い取らなければ、お金を供給することはできない仕組みになっている。
  言い換えれば、世の中に存在する手形や債券以上に、お金を供給する事はできない。しかも、手形や債券は、いずれ返済されるので、日銀が出したお金は再び日銀に戻ってくる。

  以上の事は何を意味するのか。
  極めて大事なことであるが、中央銀行と言うものは、世の中のお金の量が、増えないような仕組みになっていると言うことだ。
  その理由は、インフレを引き起こさせないためである。

  皆さんによく考えて欲しいのは、ここのところだ。
  明治15年当時の、日本の生産能力はどの程度であっただろう。産業といっても、農業、漁業ぐらいで、工場と呼べるものがあったかどうか。他には、鍛冶屋と大工と手内職ぐらいだろう。
  このように、生産力がほとんど向上することのなかった時代においては、中央銀行によるお金の供給は、間違っていなかっただろう。
  なぜなら、この時代にお金の量が、増え過ぎてしまうと、たちまちインフレになるからだ。

  しかし、時代は昭和になり、まして戦後になると、高度経済成長期を迎えることになり、凄まじい生産能力の向上が起きた。
  当然、猛烈にお金の量が増えなければ、一国経済は速やかに発展する事は無い。
  しかし、このような時代になっても、相変わらず日銀が、お札を発行していたのだ。世の中のお金が増えない仕組みになっている日銀が、お札を発行していたのである。
  
  これでは、世の中のどこかに、とてつもない無理が生じるだろう。
  どこかで、何かよほどおかしなことをしなければ、お金は増えないはずだ。
  それが、政府の国債発行と言う現象だった。
  本当は、政府は、かつて手放した政府紙幣発行の権限を取り戻して、政府紙幣を発行していれば、国の借金問題などは起きなかったのである。

  [政府の国債発行+日銀の国債買い取り→紙幣の発行]
  などという回りくどい方法を、猛烈な経済成長の時代に、使い続けたために、おかしなことになったのだ。
  [政府による政府紙幣の発行]
  これで良かったのだ。

  そもそも、モノやサービスが増えたのだから、それを取引するお金も、ただ刷ってふやせば良かったのである。
  モノやサービスが増えたのに、それに合わせて増やしたお金は、国の借金になったと言うのでは、おかしなことではないか。

  さて、ここで次のような反論がわき起こるだろう。
  それなら、国債は返済しなくても良いのかと。
  国債は借用証書であり、国民からお金を借りたのだから、これは絶対に返済しなければならないと。
  ところが、返済しなくても良いのである。と言うよりは、国債を持っている者が、返済して欲しいとは思わないのである。
  なぜなら、国債は利子がつくから。一方、返済されて現金になると、利子はつかない。どちらが得だろうか。
  
  銀行や保険会社などは、資金をできるだけ安全な方法で、運用しなければならない。国債なら国家が発行したものだから、これほど安全な運用方法は無い。
  もし、国債を保有する者が、現金に変える必要があるのなら、国債市場で売れば良い。他に買い手はいくらでもいる。
  国債とは、国債市場を通じて、売り買いされるだいじな金融資産になっているのだ。
  このように、誰も返済してほしいと思わない借用証書は、もはや借金ではない。

  企業は株を発行して、世の中から資金を集める。この集めた資金は、企業にとっては借金ではない。返済しなくて良いのである。
  株を持つものは、それを現金に変えたければ、株式市場で売れば良い。株は株式市場で売買される金融資産なのだ。
  企業の業績に応じて、株の価値は決まる。企業が倒産すれば、その株は紙屑になる。
  一方、国家は倒産する事は無いので、国債は永久に価値を持ち続ける。日本全体の生産能力に応じて、価値を持ち続ける。

  参考図書:「日本国債は国の借金ではなく通貨発行益であることを証明する」岩崎真治