賃金が上がらない。デフレから抜け出せない。世の中全体が、貧しくなっているような気がする。
最近、日本人の多くが抱く感想ではないだろうか。資本主義には、競争しすぎると貧しくなる原理があるようだ。
なるほど、企業は、他社に勝つために、自社製品をできるだけ安く売ろうとする。安く売るために、まず人件費を下げようとする。人件費は、製品を製造する経費のうち、最も大きな部分を占めるからだ。
世の中全体で、人件費を切り詰める、すなわち賃金が低下していくと、当然、世の中全体の需要が減少することになる。
なぜなら、賃金が下がれば、世の中全体の、ものを買うお金の総額が少なくなるからだ。
こうして、全体の需要が低下すると、企業は、より熾烈な競争に追い込まれることになる。そこで、他社に打ち勝つために、なおいっそう、自社製品の価格を下げようとする。そのために、いっそう賃金を抑えようとする。そして、ますます全体の需要が低下する。
大体、このような負の連鎖が、日本において、ここ20年以上の間続いてきたことになる。そして、どうしても、この苦しい状況から、抜け出すことができない。鳴り物入りで登場したアベノミクスでも、結局だめだった。
ここで、われわれは、そろそろ気づかなければならないことがある。それは、ミクロ経済主体(企業や個人)に、経済の運営を、全てゆだねてしまってはいけないと言うことだ。
なぜなら、ミクロ経済主体は、徹底的に競争するので、需要を生み出すはずのお金(賃金)が、どんどん減少していき、ついには豊かさが失われてしまうことになるからだ。
しかし、そうは言っても、ミクロ経済主体に競争をするな、と言うわけにもいかない。彼らは、宿命的に競争原理の中にあるからだ。そして、競争するからこそ、より良い製品を、より安く世の中に提供することにもなるからだ。
では、どうすれば良いのか。
ここに、ミクロ経済主体とは全く別の存在があることを、思い出さなければならない。それは、マクロ経済主体、すなわち政府である。
政府は、非営利団体であり、NPO法人である。ミクロ経済主体とは違い、全く別次元の存在であり、競争原理の中にはいない。
したがって、政府は、ミクロ経済主体の持つ不備な点、競争をしすぎて、むしろ世の中を貧しくする方向に、力を発揮する、という点を調整して、豊かさを取り戻すことができる。
どういう方法かと言うと、失われた賃金、失われた企業の利益、すなわち失われたお金の量を国民に配るのである。それは、例えば、ベーシックインカムと言う方法でも良いし、財政出動と言う形でも良い。
ただし、これらに必要なお金を、増税や、国債発行によって調達しては、ならない。競争原理によって、失われた豊かさ(お金)であるので、政府が直接、紙幣を発行し、その通貨発行益を利用するのである。
日本国は、生産力が衰退したために、貧しくなっているのではない。むしろ、生産力は年々高まっているのだ。なぜなら、ものすごい勢いで競争するので、著しい技術の進歩があるからだ。
と言う事は、供給力は年々高まっているのであるから、それに合わせて、需要を高めても、何も問題は無い。
需要を高めるとは、日本国民全員の収入を、増やすことだ。
ミクロの世界では、減っていく賃金を、マクロの持つ能力、すなわち、お金を発行することができる能力を使って、賃金を補い、企業の利益を補うのである。
以上は、新自由主義者達の、思いもつかない発想であるだろう。何しろ、新自由主義者は、ただ競争を奨励するばかりであるからだ。競争しすぎて、貧しくなっているのに、もっともっと競争しろと言う。トリクルダウンだと言う。
先日は、「働き方改革法」が成立してしまった。これは、競争奨励の法案である。来年は、消費税が10%になる。歳出削減はもっと進むだろう。日本を亡国えと導く、この人たちの頭の中を入れ替えたいものだ。
参考図書 :「日本国債は国の借金ではなく通貨発行益であることを証明する」岩崎真治