一国全体の生産量が増大すると、当然それに合わせて、世の中のお金の量も増やさなければなりません。
日本は、戦後、常に生産が増大し続けてきたので、お金の量も増え続けました。
1955年当時、4.3兆円であったんお金の量(マネーサプライ)は、現在800兆円を超えています。
約800兆円近く増えたことになります。

その800兆円は、誰が増やしたのかと言うと、それは日本銀行だろうと、多くの人は考えます。
実は、これは半分しか正しくありません。
なぜなら、日銀は、手形や債券などを買い取ることによってしか、日銀券を発行することができないからです。
現在、日銀は、大量の国債を銀行から買い取ることによって、日銀券を銀行に送り込んでいます。

言い換えると、日銀は、何も買い取らずに、ただお札を刷って、これを世の中に送り込む事は、絶対にできません。

すなわち、まず、世の中に手形や債権が、存在していなければなりません。
日銀は、現在までに、800兆円以上もの大量の日銀券を発行していますが、これほど膨大な額の手形や債券を、民間だけで発行できるものではありません。

そこで、大口の債権を発行する能力を持つ者、すなわち政府が、国債を大量に発行して、それを日銀が間接的に買い取ることによって、マネーサプライ800兆円以上の増加を成し遂げたのです。
以上は、現在、国債発行残高800兆円が存在する理由です。

経済が発展し、モノやサービスの量が増えたので、それに合わせてお金の量を増やすのだから、そのお金は、国の借金の形になるようにするべきではないでしょう。

本来、お金と言うものは、政府が直接発行すべきものです。政府は、手形や債券などを買うことなく、ただお札を刷って、これを使用することができます(政府紙幣の発行)。
そうすれば、国の借金など生まれる事はなかったのです。


1万円札を1枚製造するのに、紙代と印刷代で、16円かかります。そうすると、1,000円− 16円= 9,984円が政府の収入となります。この9,984円は、通貨発行益と呼ばれるものです。

一国の生産が増大し、モノやサービスの量が増えたのです。そのモノやサービスの価値は、プラスのお金で評価しなければなりません。すなわち、通貨発行益の生まれる政府紙幣によって。

なぜ国の借金の形になるような、お金の増やし方をしたのでしょうか。

日本銀行は、明治15年(1882年)に、設立されました。明治15年とは、まだほとんど、生産の増大のなかった時代であり、これから先も、急激な生産の増大が起きるとは、予測できない時代でした。
したがって、中央銀行である日本銀行は、世の中のお金の量が増えすぎて、インフレが起きることのないような仕組みになっていたのです。

要するに、手形や債券を買い取らなければ、お金が出せない仕組みです。日銀が買い取った手形や債券は、いずれ返済されるので、出したお金はまた日銀に戻ってきます。これでは世の中のお金の量は、増えようがないし、インフレにもなりようがありません。

もちろん、昔はこれで良かったでしょう。
しかし、戦後の日本は、国内総生産(GDP)が、60倍以上にもなっているのです。
当然、お金の量をものすごい勢いで増やさなければならなかったのです。

通貨発行益が生まれる、政府紙幣を発行していれば、国の借金問題は起きていません。
しかし、お金の量が増えない仕組みの、日銀にお金を発行させ続けたので、国の巨大な借金問題が起きているのです。

要するに、政府はお金の出し方を間違えたのです。

 参考図書:「日本国債は国の借金ではなく通貨発行益であることを証明する」岩崎真治