日本の財政は、まもなく破綻すると言うものと、いや、財政破綻はしないと言うものと、2つの相反する意見が、日本中を駆け巡っている様だが、この真反対の意見の、いったいどちらが正しいのだろうか。

財政破綻すると言う人々は、歳出を削減し、増税して、国の借金を減らせと主張する。

一方、財政破綻はしないと言う人々は、どんどん国債を発行して、公共事業や、社会保障に、お金を注ぎ込めば、GDPは跳ね上がり、たちまち景気が回復するだろうと主張する。
また、日本は、外国から借金しているのではなく、国内で借金しているのだから、何も問題は無い、国債は日銀に買い取らせれば、借金ではなくなる、などと、一見暴論のようなことを言う。
これらの、非破綻論者、積極財政論者の代表格に、三橋隆明氏、高橋洋一氏、藤井聡氏、広宮孝信氏がいる。

一方、財政破綻論者の代表格は、なんといっても財務省である。その他、マスコミも、多くの政治家も、学者も破綻論者であると言っていいだろう。
大体において、日本人のほとんどは、破綻論者であるだろう。

さて、どちらの主張が正しいのか?
実は、これを判定する上での、非常に重要な基準と言うものがあるのである。
それは、生産、あるいは生産力と言うものだ。経済の実態は、紛れもなく生産である。お金は、経済の実態ではない。

お金は、生産に合わせて、政府が適度に発行すれば良いものだ。
1万円札自体には何の価値もない。ただ、モノやサービスなどを、売り買いする上で、その仲立ちをするものとして、価値があるだけだ。

ところで、破綻論者たちは、生産、生産力などと言うことに、全く目を向けていない。彼らは、ただお金の計算をするばかりである。国(政府)は、これだけ借金をしていて、税収がこれだけで、支出がこれだけ、社会保障費は年々増える一方で•••と言うふうに。
このような考え方で、経済と言うものが、正確に捉えられていると言えるのだろうか。

実は、一国全体の生産力は、20世紀の後半から、21世紀にかけて、ものすごい勢いで、増大しつつあるのである。
1,980年代から、生産現場において、コンピューターが導入されるようになり、90年代には、ほぼ全般に普及し終わった。

この間、機械自体の進歩にも、目を見張るものがあったが、それらの機械にコンピューターが組み込まれたことによって、生産力はどれほど増大したであろうか。

ところが、前回のブログで述べたように、ミクロ経済主体は、宿命的に競争ばかりするので、値段の低下や、賃金の低下が起きることによって、お金の価値で測った生産力、すなわち、GDPは必ずしも伸びるわけではない。

次に、世界的に普及したコンピューターは、それらをすべてつなぐことによって、インターネットなるものが実現した。
このインターネットの普及は、製造業の生産だけでなく、サービス業の生産をも、飛躍的に増大させた。

以上のように、コンピュータだけを取り上げても、生産力における貢献度は、計り知れないものがある。

一国全体の生産力が急激に増大すると、人間の労働は余ることになる。機械、ロボット、コンピューターが人間の代わりに仕事をするので、人間の労働は次第に不必要になるのだ。

統計的には、1990年代に、失業率が高止まりするようになり、次に、2,000年代になって、非正規雇用が急増し始め、同時に低賃金化が進んだ。
これは、要するに、人間の労働が余ることによって、需要と供給の関係から、人間の労働の価値が低下してしまったのである。

科学、技術が著しく進歩し、生産の急激な増大が起きると、国全体の賃金と利益の、合計額であるGDPは、停滞し、あるいは低下するのである。
この20年間の、日本経済の停滞は、以上のような原因によって起きているのである。

さて、今我々がしなければならない事は、お金の計算をすることではない。
生産が増大しすぎたために起きている、賃金、利益の喪失を、マクロ経済主体である政府が、これを計測し、回復するのである。
その方法とは、まさに積極財政による、公共事業や、社会保障の充実である。

よって、三橋隆明氏、高橋洋一氏、藤井聡氏、広宮孝信氏らの積極財政論は、一見暴論のように見えるが、実は正しいのである。
彼らは、日本国全体の巨大な生産力を、正確に把握した上で、理論を展開しているからだ。

一方、財政破綻論者は、増税と歳出削減による、財政再建を目指していて、いかにも正しいように見えるが、ただお金の計算をするだけで、経済とは、生産であると言うことに、目を向けていないので、大間違いである。

 参考図書:「日本国債は国の借金ではなく通貨発行益であることを証明する」岩崎真治