ミクロ経済主体である、企業や個人は、経済社会の中で激しく競争する。
企業は良い製品を作り、それをより安く売って、同業他社との競争に打ち勝とうとする。
これは、ごく当然のことであって、ミクロ経済主体は、宿命的にこの競争原理の中で、生き延びなければならない。
競争原理があるからこそ、より良い商品が、より安く生み出され、人々はこれを購入して、より豊かな生活を送ることができるようになった。
しかし、それでは、ミクロ経済主体が競争し続ければ、ますます社会は豊かになっていくのか、と言うと、けっしてそうとは言えない。
競争をすれば、商品の値段は安くなるが、商品の値段が安くなれば、当然、それを生産する人間の儲けも、少なくなってしまうという現象が起きる。
すなわち、賃金が減り、商店の売り上げも減るのである。
要するに、国民全体の所得が、減っていくのである。国民全体の所得とは、言い換えれば、GDPの事でもある。
現実においても、1997年以降、約20年間にわたって、日本のGDPは減り続けている。そして、賃金や商店の売り上げも減り続けている。
この状況を人々は、「デフレスパイラル」と呼んでいる。そして、このデフレスパイラル状態から、いつまでたっても抜け出せない。
これをなんとかしようと、日銀は、量的緩和と言って、国債を買っては、お金をジャブジャブ銀行に送り込むが、お金は銀行に溜まる一方で、世の中に出て行こうとはしない。
結局、2%のインフレは、達成される見込みはないままだ。
いったいどうすれば良いのか。
ミクロ経済主体が、競争しすぎるのがよくないので、「あまり競争しないように」と言っても何にもならない。
ミクロ経済主体は、競争して勝たなければ生き残れないからだ。
したがって、どこまでも競争が続き、ものが安くなり、そして賃金、売り上げも減り、デフレスパイラルから抜け出せない。
しかし、ここに、ミクロ経済主体とは全く異なる、ある強力な存在があることに、人々は気づかないだろうか。
それは、政府と言う名のマクロ経済主体である。
政府は、ミクロ経済主体とは別次元の高みから、無数に存在するミクロ経済主体の、競争によって失われつつある所得を、取り戻すことのできる能力を持っているのだ。
もともと、政府はそれだけの強い力と、能力を持っているのに、その力を行使しようとはしていない。
よく考えて欲しいのは、ものが安くなり、賃金が下がり、GDPが減るのは、それは生産力が低下することによって起きている現象ではない。
一国全体の生産力は、低下するよりも、むしろ向上しているのに、激しい競争を繰り広げるので、安売り合戦をして、賃金が下がるのである。
マクロ経済主体である政府は、この状況を客観的に眺め、本来あるべきはずの、一国全体の生産力を推測し、喪失してしまったと思われる所得を、国民に支払うのである。
もちろん、この場合、政府はただで紙幣を刷って、これを支払いに充てる。(政府紙幣の発行)
最近広まりつつある、ベーシックインカムと考えても良いし、ヘリコプターマネーと考えてもよい。
いずれにしても、本来の正しい一国の生産力に、近づける行為であるので、何の問題も起きない。
と言うよりは、本来あるべき国力を取り戻し、本来あるべき豊かさを取り戻すのであるから、政府は、是非ともこの正しい行動を取るべきであろう。
現在の主流派経済学(新自由主義)は、ただただ、ミクロ経済において、競争することを推奨し、政府の役割を、小さくすることばかり考えている。このような経済学には、思想も、哲学も何もないと言うことに、人々は早く気づくべきだろう。