さて、当協会の総会が行われました。
仲間たちは私より賢いので、数字のことや業績また評価について熱心に話しておられました。
私はというと、施設のプロジェクターはいつ交換するのかな?
とか
プロジェクター吊り金具の交差部分は溶接かな?
だとしてもあれで強度が出るのかな?
とか
いくつか違うタイプの椅子があるけどそろえればいいのにな。
とか設備についてひとしきり考えを巡らして
それも終えると
○さん、黒いなー
あれ?○さんちょと太ったかな?
あいつおっせーなー、まさか今アップしてるんじゃ・・・
貧乏大臣大大臣貧乏大臣大大臣・・・
だれにしようかなてんのかみさまのいうとおり
とかやっているうちに、総会はあれよあれよという間に終わりました。
どうやら、役員改選でした。
知らぬ間にまた副理事長でした。
ガ○チョが定年なので一人副理事長かと思って冷や汗が出そうになった時に気付きました。
あ、ちゃんとしたほうの副理事長が設定されてる!
私だけじゃなんなんで、ちゃんとした朝○さんが副理事長になっていました。
この小さな組織に、副理事長が二人も必要なのでしょうか。
私が副理事長になっている理由は唯一、鉄砲玉だから。
なんてやくざな稼業でしょう。
ちゃんとした人を守るため、怒鳴り散らしたり威嚇したりするためだけに私は居ます。
私は研修部長からも外され、広報部長になりました。
研修部長には、体育会系のでかい人が。同じく体育会系のイケメンのほうではないです。
事業部長には、キャンプ界最強と言われるBさん。最強なので、事務局長もやってくれます。
理事長には、大きな責任をそのまま背負って墓場に行くつもりがあるおやぶんが。
世の中はおかしなもので
大きな責任を果たさないいろいろな立場が上の人 が居ます。
あ、俺もそうです。
何せろくに仕事しないで、朝から半裸で烏骨鶏に餌やってるんですからね。
そんな人を責める向きもあります。
ま、責められて当然です。大きな責任を果たさなんですから。
かといって
あいつは責任を果たさないんなら、俺は責任小さいから果たさなくてもいいや!
っていうのとはわけが違います。
小さくても責任を果たしているから、大きな責任を責められるのです。
責任は、大小の問題ではなく、果たすか果たさないか、が重要です。
お互いに果たしきれない。それはおよそ決まっていることです。
果たしきれやしないんです。どこまでやっても後悔があるし、取り返しのつかないことがある。
だから日々、進むしかないんですね。
果たそうとするし、取り返しがつないものはその先の人々に向けるしか自分を救う手立てはないからです。
協会の責任の大小も同様です。
理事長は大きな責任があります。
役にない方々も小さな責任があります。
互いに果たしきれませんが、進むしかないんです。
私は中途半端な鉄砲玉ですが、言っただけのことはやります。
言った分もしくはそれ以上やるんです。
そうやって勝ち得たものは「変人扱い」しかないんですけどね!
それはそれでプライスレス。
この癒される可能性のある写真はわが社の烏骨鶏です。
美しい鳥です。その、ひよこちゃんです。
ほかのところにもいるので、ひよこだけでなんと全部で40羽くらいいます。
HCGまたコーチャンマンはどこに向かうのか?
という、意味のない陰口もあるでしょう。
どこに向かうか決めたことが無いので誰にもわかるわけないです。
好きなことをやるという一貫性がある。それしかないんだけんどね。
同様に
東京都キャンプ協会はどこに向かっているのか
というお声も多数お受けします。
どこに向かうもなにも、今は、一般に、キャンプは物販を軸にした経済活動ですから、そこいくと技術以外に売り物の無い当協会は軸からはずれたところにある。
物を売買しそれを活用できる場に行ってみてくれ重視でインスタバエを呼び寄せる。
で、アフェリエイトからめてちょいとでも儲けようとしたり。
それでもって、物の良し悪しが決まり、物販が進む。
これはもう、他のあらゆる業種と変わらない。
一方で、それに辟易している方々もある。
インスタ映える程度のことは中の下くらいで誰にでも理解でき、誰にでもよく見えるものだ、とわかっている人もたっくさんある。
みてくれは本質であるわけないんで、バエがたかる程度のものでは満足しない人がある。
そういう人は、自分が一段上にあると思っている。
俺はというと、5段くらい上だと思ってますがね。
そんなバエ世間とはちょっと離れたところに、私たちの言うキャンプはある。
そしてそれはものすごくあやふやなものだ。
昔は、社会教育の一環だった。
今は、社会教育から離れようとして、自然体験活動になってしまった。
自然体験活動は、社会の一員を育てるに違いないが、一人の子を育て続けるつもり、もしくは覚悟がない。
社会養育主事という資格がある。
役所の中の専門職で他の仕事への異動はない。原則。ちょと変わってしまったが。。
誰かが見守り続ける必要があったからだ。文脈やつながりを保つために、見守る役が必要だった。役所の中の役割としてはなかなかイカした仕事だ。
自然の中で、誰かと自然を体験し、いいね!をもらうまでで良いのが自然体験活動になっている。
あの子が来るからコレやろう、って計画できているだろうか。
「あの子が来るからコレやろう」と計画する。
のと
「こどもたちが喜ぶからコレやろう」と計画する。
のでは
全く違うことが行われる。
私は明らかに、あの子が来るからコレやろう、と計画しているし、したい。もっと言えば「この子が来るならこうしよう、これやろう、このリーダーを充てよう」と、参加する子の誰だけでなく一人一人のために計画したいし、している。
それをいっそうに進めるために、自身の団体も少し舵の向きを変えた。
キャンプはそんなんだから、自然に、あやふやなものになる。
キャンプは決まりの無いあやふやなものなので、はっきりさせる必要もない。
協会はどこにに向かっているのか、向かうべきなのか。
その答えの一端に、おおらかなあやふやさを保つ、があって良かろう。
ま、それじゃ赤字経営はどうにもならんですけどね!
一番いいのは
ヒット商品バンバン売って
そのアガリで都民にサービスできるキャンプをバンバンやる
という、バンバン経営なんですけどね。
自分の団体はバンバン経営は忙しくて嫌なんで
ぽつぽつ動物販売して
ぽつぽつサービス満点のキャンプやるっていう
ぽつぽつ経営で参りたいわけ。
上手いこと経営するより、半裸でえさやりやっていてもなんとか暮らして行けるだけの大金があればいいだけ。
総会やりながらそんなことを考えてました。
というのは嘘で、やっぱり溶接の強度が気になったまま総会が終わった。
