今日は素敵な陽気でした。
なのに、オフィースで片付けとデスクワークです。
悔しいので、私は明日、HCGに行きます。
秋は、肩を寄せ合っているのが心地よい季節です。
夏は、肩を寄せ合うと暑苦しいのでいかん。
私はきっぱり秋が好きです。
そもそも冬の早いところで生きている人は
そんな悠長なことは言ってられないかもしれません。
なにせ、秋というのはすぐに来る冬への準備に
いそがしい季節でしょう。
標高500メートルの里山では、秋が長い。
晴れた空に紅葉が美しいし
雨に濡れた紅葉もたまらなく美しい。
濡れるといえば
私はダンサーなわけですがその分野では
雨は、いろいろなものを濡らし
霧は、いろいろなものを包み
飛沫は、いろいろなものをほとばしらせ
そんな様子から子孫繁栄と豊かさの象徴となっています。
歌があるわけですが、たとえば
「花の蜜が香り良い気分です」
という美しい歌詞で
花は、あなたを象徴し
蜜は、男女問わず思わず濡れる様々を象徴し
良い気分というのは、艶めいたたまんない気持ちという意味を含みます。
もちろんこれはかるーいほうで
もっとたまらなくセクシャルな意味を含む歌もあります。
実はそうした歌詞は日本にもたくさんあります。
民謡や音頭に隠されているわけですね。
こうした自然観は、八百万の神々を生み出し
森羅万象に感謝をする、日本ならではのものです。
自然の姿から、自然に艶めいたことにつなげることができる。
とても、美しいと思います。
私は英語はさっぱりですが
有名な「センスオブワンダー」の日本語訳をさらーっと読み流した限りでは
「人間以上の力」というような表現はありますが
それを「神」とは表現していないのに気がつきます。
なぜかと考えましたが
西洋には、八百万の神々はありえないからだと思います。
神はひとつと考えられているのでしょう。
私たちが容易に感じることができる
木や石や海や山、井戸や竈などの様々な神の存在は
感じたら口にすることができます。
「ほら、山の神様が怒りますよ」とか、平気で言えるのは
なんだか幸せな気がします。
木一本にも神が宿っているので
ある程度大きな木を切り倒すときには木を神と見て
酒や塩、米をお供えするわけですね。
神秘的を超えて、普通の話で「かみさま」が近くにおいでなので
神頼みするに困らない。
私には、センスオブワンダーは眠くなるだけなので
読みきったことはありません。
でも、神々しい自然の姿や、神の声かと聞きまごうほどの風、
コケや羊歯の美しさ、そんなかみさまたちは
少年の頃から当たり前にそばにありました。もちろん、今も。
なので、本に導かれるまでもないみたいです。
環境教育のバイブルとも言われる、沈黙の春も読んだことはないです。
眠い目をこすって読むより、釣竿を担いで出かけたほうが
自然のありがたみがわかるのかもしれないと、本気で思っている一人です。
しかし、行動をおこさなければならないのは、
沈黙の春を読もうが読むまいが変わりません。
でもね、今日は、片付けながら、
この紙は資源とすべきか、また燃えるゴミにすべきか悩みつつ
多くの紙をゴミに回しました。
紙だけに、神様にしかられるかも。
個人情報と持続可能な社会は、矛盾するかも。と思ったりした。
いろいろ書きましたが
ここ数回長く書くのは、東京キャンフェスで出会った仲間を
手放すまいとしているわけね。
時間なので、また。
10月15日水曜日に。