長年、お傍にいた私が思い返すに、先生は裕福とはとても言えなかった。お世辞にもそうは言えない。先生は職業を持ち、ご自分で畑を耕し、田に稲を植え、そのかたわら、悩みを持つ者の相談に答え、求められるとどこへでも訪ねていって、ご自分の考えを話された。先生は、毎月ご自分が最低限生活できるだけのお金を残し、それ以外の全てを必要な人々や地域のために使われた。その最低限の生活費さえ、困っている人を見るとあげてしまうことがしばしばで、先生の衣服やお住まいはとても粗末なものだった。しかし、先生はどんな人からも絶対に謝礼を受け取らず、お話をされる場合も自弁で出かけていくので、ますます生活は窮乏しているのであった。心配する私たちだったが、先生は「自然や宇宙の法則を語ってお金儲けをするのは間違いです」とおっしゃり、「法則はそこに存在しているだけです。すべての生命に使う権利があり、義務があります。私は皆さんに気付くきっかけや使い方を解説しているのに過ぎません。まして、その使い方や法則も私が受容できる限定的な分野にとどまります。もっと違った見方や、さらにたくさんの法則が存在しているのです。おこがましいことです」と、たしなめられるのだった。
後年、権門精華となった子粛が万金をもって、先生の恩に報いようとした。しかし、先生は頑として受け取らず、剛毅な子粛は「成長した息子が父親に小遣いを持ってきたのに受け取らない親がありますか!」とまでせまったが、「それだけのお金があれば、もっと社会の困っている人々を助けられる仕組みが出来るはずです。あなたはそれが出来る地位と力とお金を手にしたのですから、あなたのやるべき事をしなさい。いえ、あなたにはそれを為すべき義務と責任があります。私は自分の事は自分で出来ますし、今の生活に不便は感じていません。ですが、世界にはあなたの助けを必要としている人たちが、まだ数多くいるのです」と説かれた。弁舌百官に勝ると謳われた子粛もこれには観念するほかなかった。
先生は「法則や真理をもってお金儲けをしようとすると、本来純粋な考えや知恵であったものに、雑感や邪念が混入するおそれがあります。私はそれを避けたいのです。そして、実際はだれでも利用し、それによって向上することが出来る宇宙の法則について、財産を持つか持たないかによって、格差が生まれてしまう事をおそれるのです。私は求める人にはだれにでも、できるだけわかりやすく、そして今すぐに実践でき、世界を豊かに明るくする、そういったものを目指しているのです」