連続アメブロ演義「まとひ」 罰は当たらない | 連続アメブロ演義 まとひ

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剣龍之介のいま、つたえたい話

ある教団の信者が、身を隠して相談に訪れた。もっと社会のためになる活動をしたいのだが、戒律と教団の上位者によって許されないのだという。

「わたしはどうしたらよいのでしょうか」

先生はおっしゃられた。

「人間の本質はあたたかくまぶしい光です。ご自分の光と良心に照らし、良いと思う事をやることです。何事も動機が大切です。動機さえ正しければ、どんな事態になっても、必ず最後はうまくいきます。もうダメだ、もうこれまでだ、とサジを投げたくなる時もあるでしょう。けれど、そこであきらめずにやりぬく事です」

「しかし、教団の決まりに背く事になります。罰はあたりませんか」

「宗教とは他の人のため、自分を役立てる事です。それこそが大切なのです。教団や教義、立派な儀式や服が重要なのではありません。罰とは誰かに与えられるものでなく、自分が自分の行動をかえりみて、自分に与えるものです。困っている人の苦境をそ知らぬ顔でやり過ごしたり、人を傷つけたりするならば、それは宗教ではありません。人は犯した悪の全てに対してだけでなく、しそこなった善全てに対しても、その報いを受けます」

「どうすればそれほど自由な考え方ができるのですか。私にはあまりにも自由な考えに思えるのですが」

「知識や英知、他人への貢献に限界がない事に気付いたとき、あなたは真の意味で自由になるのです。心の奥で間違いであると気付いたもの、あなたの理性が反発するものを即座に捨て去る事が出来るようになったときにも自由になることができます。新しい光に照らして、間違いである事が分かったものを、恐れることなく捨て去ったときに初めて自由になるのです。

ですから、もしも私の考えに少しでもおかしい点、あなたの理性や良心が納得しない点があれば、遠慮なく拒否して下さい。私もあなたと同じく悩める人間です。学びの途中にある者です。そして、もしも私の意見に賛同くださるなら、ありがとうと申し上げます」