人生をかえた転機は

今日は、いつもの従姉妹ではなく、その姉の従姉妹の話。

 

その姉の方の従姉妹が経営してる薬局へ行ったとき、母が胃がんだったことを話さなかった話を従姉妹にした。

母は胃がんと診断されたとき、すでにステージ4で他の臓器にもガンが転移して治る見込みはないことが分かったから、お医者さんと相談して病院でも胃がんだということを告知せず、積極的なガン治療も行わないことにした。

 

 

助かる見込みがないのに、胃がんだと母に知らせて生きる気力を失うのが怖かったし、母が胃がんと知っているのは病院の関係者と、身内では妹だけだった。親戚には十二指腸潰瘍で入院していると言っておいた。

 

もしも、胃がんだと知った誰かが見舞いに来て、母に「胃がんなんだってね」なんて言われては困るからだ。

 

その姉の方の従姉妹に薬局でその話をしたとき「信頼されてないみたいで嫌だな」などと訳の分からないことを言い出した。

 

私が「言わなくて悪かった」と言っても、何度もその話を繰り返す。最低でも3度は同じ話を従姉妹が言ってきたと思う。

 

その日は、従姉妹の娘と車で出かける用事があり、私に早く帰って欲しいから、わざと私を怒らせて追い返すつもりだったらしい。

 

母が胃がんだったことは、母が亡くなってから何人かに伝えたが、そんな訳わからないことを言い出したのは、その従姉妹ひとりだけだった。

 

実際に、祖父が大腸がんで入院していたとき、祖父には大腸がんだということを教えていなかったのだけど、お見舞いに来た人が口を滑らせて、祖父が自分が大腸がんだということを知ってしまったという失敗があったことを、あとで知った。

 

特にうちの叔父などは、少し頭が弱いほうで、母が胃がんだと言うことを教えたら、お見舞いに来たときに口を滑らせて「胃がんなんだってね」なんて言い出しかねなかった。

 

その叔父は、部屋が寒くて仕方なくてガスファンヒーターを買いたいから2万円出して欲しいと電話で頼んだときも、「そんなもの要らない!いいか、お説教するわけじゃないが、うちのお母ちゃんだって部屋が寒いのを我慢して厚着してるんだ」などと訳のわからないことを言う。叔父は馬鹿なのだ。そもそも、行きつけの回らない寿司屋に夫婦でよく食べに行くくらい裕福なのだから、自分の家が寒ければストーブでもガスファンヒーターでも買えばいいのだ。言ってることがおかしい。

 

叔父は親の七光りで老人ホームの施設長などをやって裕福だったが、家が貧乏だったら、馬鹿なのでロクな職につけなかったにちがいない。

 

叔父は、会って顔を見て話すとおとなしいのに、電話だと急に怒り出したり、乱暴な口調になったりする。それが叔父の本性なのだろう。

 

叔父の話は、まぁいい。

 

娘と車で出かける用事があるから私に帰って欲しいなら、そのままそう言えばいいのに、わざと私が嫌がる話をして怒らせて帰そうとするなんて、頭が狂っているとしか思えない。それが常識ある大人の正しい行為なのか?

 

その薬剤師の、姉のほうの従姉妹は、アフリカのガーナ出身の黒人と結婚して三人の子供を産んだ。

 

この黒人が、まったく働かないで遊んでばかりいる。たまにお金が入るとアジアのタイかベトナムかどこかへ遊びに行ったり、アフリカの実家に送金してしまい、家にお金を入れない。いちども会社に就職することもなく、もともと会社で働く気なんてサラサラなかった。

 

一家の大黒柱で家族を養っていくなんていう気持ちは欠片も持ち合わせていない。黒人の友達を家に呼んでバーベキューをしたり、太鼓を叩いたり、ヤギや鶏を庭で飼ったりしている。遊ぶことしか能がない。

 

かろうじて、家で英会話教室をやったり、小学校で英語を教えたりしていたが、収入は雀の涙で薬剤師の従姉妹のヒモだった。

 

その黒人の夫が、姉の方の従姉妹から三千円を手渡しされている所を偶然に見かけて「なんて情けない奴だろう?」と思ったことを覚えている。

 

この三人の肌の黒い子どもたちが、また親に似てロクデナシ揃いで、長男は薬学部に入学して薬剤師の跡を継ごうとしたが、馬鹿なので勉強についていけず、大学を退学して、べつのもっとレベルの低い大学に入り直した。もちろん薬剤師にはなれなかった。

 

次男は、県内でも最も偏差値の高い高校に受かって医者を目指す筈だったが、高校時代は何の役にも立たないラグビーに熱中して、医学部に落ちて浪人して、2年位浪人を繰り返して、相当低いレベルの医学部も受けたが不合格で、とうとう受験そのものをやめて、家でただ遊んでるだけの穀潰し、プー太郎になってしまった。そして、車の免許をとると家の仕事を手伝わされるからと言って、頑として車の免許は取らない。その甥っ子と何年か前に話したとき、アクセルとブレーキも知らないので驚いた。

 

いまその甥っ子は二十代半ばくらいだろうか?それとも三十近いだろうか?歳はよく知らないがロクデナシであることだけは間違いない。偏差値70位の高校を卒業したのに、ただのニートだ。

 

末っ子の娘は、女の子なのに、幼い頃から笑っている所を見たことがない。キャーキャー騒がない。喋らない。不気味だ。

従姉妹はその娘をイギリスに留学させたが、習っていたのは、パソコンで写真と詩を合わせた作品を作るとかいう、何の役にも立ちそうにない、仕事に繋がりそうもない意味のないことを教わっていたらしく、そのためにバカ高い留学費を出すなんて、只の馬鹿だ。帰国してから翻訳の仕事に就くとか、そういう訳でもない。

 

そういった、黒人の夫やロクデナシの子供たちのことをラインで姉のほうの従姉妹に送って「お前のことが大嫌いになった」と書いて、従姉妹が「傷つけたなら謝ります」とか、誤字の混じった変な返信をしてきたが、そのままブロックした。

 

その姉の方の従姉妹とは、それきり何年も一言も会話していない。どうせ教会の礼拝にも来ない。

 

そのラインを送ってから、甥っ子は何年ぶり、4~5年ぶりかで大学受験を再開したが、また不合格の連続で、大学に受かったという話は聞いていない。

 

その姉の方の従姉妹は、母親(私から見て叔母)の退職金の1千万円を薬局を建てるのに使ってしまった。

うちの母が生きているときに「母親にお金を返さないの?」と尋ねたところ、舌をペロッと出していたそうだ。なんという親不孝者だろう?

 

そんなだから、家族がロクデナシばかりなのだ。

 

黒人の夫は今は行方不明だ。どこに居るかもわからない。離婚はしていないが、家を出ていったきり、連絡もとっていないらしい。

 

黒人の夫が、なにも働かない只のヒモだということに何十年も経ってから気づいたらしい。馬鹿で親不孝者の薬剤師だな。

 

親不孝といえば、死んだ母親のお骨はまだ家にあって、もう十年以上、お墓を建ててもらっていない。馬鹿娘をイギリスに留学させるカネがあるなら、それより先に親のお墓を建てたらどうなんだ!?

 

うちの母も実の姉が「お墓を建ててもらえなくて可哀想だ」とずっと言っていた。

 

その叔母は三人の子供たちから、なんの親孝行もしてもらえず死んでしまった。可哀想でならない。

 

うちの母は、死ぬまで二十年ほど私が親孝行した。美味しい高級回転すしに何度も数え切れないくらい連れて行ったし、水族館にも植物園にも連れて行った。映画が好きだったから、何度も映画館へ連れて行った。母は山田洋次監督の映画や吉永さゆりの映画が好きで、家でもサブスクやBlu-rayなどで映画をよく見せた。母はとくに『この世界の片隅に』というアニメが好きで、家で何度も見せた。胃がんで病室にいるときも、ノートパソコンで『この世界の片隅に』を少しだけ見せたら、とても喜んでいた。

一泊の温泉旅行にも連れて行ったし、母が学生時代を過ごした横浜へ連れていき、中華街で食事をしたり、港が見える丘公園に行ったり、改築されたレンガの東京駅を見せたこともあった。母を水族館に連れて行ったときは、イルカとアシカのショーを見て、すごく喜んでいた。家に帰ってからも、何度もその思い出話をしていた。

母には充分に親孝行をしたので心残りはないが、できればもう少し長生きして欲しかった。

 

10年かそれくらい前、そのころ久しぶりに会った叔父は「お母さんに親孝行してやれよ」などと叔父が甥っ子に良いことを言った、みたいなしたり顔をしていたが、その頃は私はもう何年も前から母に親孝行をしていた。母が叔父にその話をしなかったから、叔父は何も知らなくて、私が親孝行のひとつもしない薄情な息子だと思ったのだろう。馬鹿な叔父だ。

 

もう一人の従姉妹の兄のほうは人間のクズ、出来損ないで、いちど母がその兄に殺されかけたことがある。

その話は、また今度しよう。

その兄のせいで、いつもの従姉妹の一人目の子供が死んだのかもしれない。

いや、母の姉の叔母ふたりも、その兄さえ居なければ、もっと長生きしただろう。死神め!

 

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