小説と映像はべつだと考えている。

伊坂幸太郎や中村文則原作の映画が、原作と違っていることには違和感を覚えていた。

 

阿部サダヲは演技力のある役者だとは思うが『死刑にいたる病』の原作では主人公は美男子と設定されていて、映画を見ていて、どうしても違和感を拭えなかった。

 

阿部サダヲの代わりに、松坂桃李とか妻夫木聡とか、もっと原作に沿った適役がいたのではないか?

 

阿部サダヲが山本五十六役を演じたときも違和感があった。役所広司のほうが山本五十六に合っている。

 

伊坂幸太郎の『マリアビートル』をハリウッドでブラピ主演の『ブレット・トレイン』として映画化した時も、原作とはかなり異なっていたが、べつの映画として楽しめたし、座席に座った状態での格闘や、毒を使う殺し屋のシチュエーションも原作通りにあって満足した。

 

 

もしも仮に、自分の原作小説が映像化されたとしても、文句は言わない自信がある。

 

それは勿論、制作段階でプロデューサーや監督や脚本家とZOOM会議をして、こちらの主張をすることはあるだろうけど、出来上がったものが自分の原作とかけ離れていても文句は言わない。

 

小説では、基本的に絵も映像もないし効果音もBGMもない。役者の演技力、あるいは予算にも出来は左右される。

 

そうしたことを加味したとき、原作と映画がかけ離れたものになったとしても、それは仕方ないと思う。

 

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