知人に40代で子供3人いる人がいる。

子育てについて尋ねると「不便」だそうだ。

 

そりゃ子供3人いてワンオペ育児では無理があるだろう。

 

昭和の頃は二世帯住宅なんて言葉は無かったが、ジジババと同居して、子どもの面倒をみてもらうほうが子供を沢山産めると思う。

 

もっとも、今の日本では給料は安い、税金は高いで、子供を産んでもその子供が苦労しそうな将来像しか見えないから子供を産まない夫婦という構図もあるみたいだ。

 

実際の所、たとえば非正規雇用で永久に年収二百万円では子供を産める筈もない。

 

ジジババがうざい、というよりも、ジジババに子供の面倒を押し付ける、方が正しい家族の在り方ではないだろうか?

 

 

スマホが鳴って、みんなスマホの呼び出し音(ごく短い曲)が鳴り終えるのと同時に切りやがる!!

「折り返し」を望んでいるのだろうが、こちらから掛け直すと電話代がかかる!

今のプランは基本料金が安くて、こちらから掛け直すとその分、電話代がかかるから、こっちが電話に出るまで待て!

オレはスマホ中毒じゃないから、スマホと離れた場所に居ることが多い。

 

スマホの呼び出し音の曲を止めて、延々とリンリン鳴る音に換えてみた。

これなら、こちらが電話に出るまで切らないだろうか?

 

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それは会社に通っている時のこと、前の晩にカレーを大きな鍋で作っていた。

そして、会社から帰ってみると、カレー鍋の表面全体にカビが生えていた。

悔しい思いでカレーをぜんぶ捨てた。

 

鍋は大きいし、冷蔵庫は小さいし、鍋を冷蔵庫へ入れる余裕はなかった。

 

もう何年もまえのことなのに、未だに悔しい。

 

あのときほど絶望感を味わったことは、あとにも先にもない。

 

今日、とある集まりに出席して、知り合いがふたり亡くなっていたことを知った。

 

たいして親しくもなかったので「悲しい気持ち」にはならなかったが、人の死なんて、ずいぶん呆気ないものだなと思った。

 

あと10年経ったら、あそこの集まりに出てる人の大半が亡くなっているのではないだろうか?

 

そうだとしても、とくに悲しくはないのだが、なんか人の世の諸行無常を感じる。

 

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自分の父とキャッチボールをした記憶がない。

父と一緒に旅行した記憶もない。

父に勉強を見てもらった記憶もないし、人生訓であるとか、生きていくのに役に立つことを何ひとつ教わった記憶がない。

 

父は外弁慶とでもいうのか、外では明るくいろいろしゃべって、それもバカ丸出しで調子に乗って話していた。

 

家にいるときの父は無口だった。

 

子供の教育になんの興味もなかった。

仕事もなにもせずニートだった。

あの頃、どこから生活費を得ていたのか、サッパリわからない。

 

韓国バーに入れあげて、マンションに韓国人ホステスを沢山住まわせて、「家賃を払うから店に来て」と言われて店に行き、家賃を全て呑んでしまうのだ。

 

やはり、父はバカだったんだと思う。

 

私がペットを沢山飼っていることを父が咎めて、「俺は家族が居なくて寂しいからペットを飼ってるんだ。

親父には家族がいるじゃないか!」 

と言うと、

父は吐き捨てるように「家族なんてどうでもいいんだ」と言っていた。あれは父の本心だった。

家族よりも韓国人ホステスのほうが大事なのだ。

なんて最低な父親だろう?