森信三氏
「修身教授録」からの
一節です
「自己の生に徹することによって
生を超えると共に
そこにおのずから死をも超える道が
開かれてくる来るのであります
かくして人生を真に徹して生きる人には
生死はついに一貫となり
さらには一如となるわけであります
すなわちその時
死生はついに別物でなくなるのであります
すなわちそこには
自分の使命に生き切ったということに対する
無限の喜びが
死に対する恐怖を
感じさせなくなるわけです
・・・
すなわち現在の自分としては
もはやこれ以上はできないというところまで
生に徹することによって
そこには
生命の全的緊張の中に
おのずから一種の悠々たる境涯が
開かれてくるとも言えましょう」
つぶやいてみようと
思います
経験のないことに
私たちは不安や恐怖を感じるもので
死は
その最たるもの
しかし
死を経験するということは
実は出来ないのではないか?
できることとは
生から死に至る経過を
生きることだけで
死そのものは
実感できないんじゃないか?
しかし
医学的意味での死の状態では
脳波が検知されることから
自己認識されているかもしれない
自分にとって死というものは
存在しなく
他人の
死だけが存在する?
しかし
終わりが近づいていることは
わかるらしい
変なことになってきたぞ
結局
人間は死を経験することなく
死んでいく存在なのかもしれない
いずれにしても
その時が来るまで分からない
いや
そのときになってもわからない
まもなく
死ぬんだなと感じながら
結局は死んだことを知ることもなく
死んでいく?
結局死そのものに対して何も
できることはない
だから
我々にできることといえば
その瞬間を生き切ることかもしれない
生き切ることで
生を全うし
死を受け入れるということだろうか?