トゥルーハーツ 〜解き放つ魔法〜

トゥルーハーツ 〜解き放つ魔法〜

あなたが微笑むとき世界が微笑む

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この件について人と語ると、どうしても口から

 

戦争に対する怒りや批判が出てきてしまいますが

 

これでは戦争をすることと同じエネルギーになって

 

しまいます。

 

 

私達にできることには

 

『祈り』

 

があり、いつでもどこでもできます。

 

フリーダムディスティニー平野あやさんが

 

平和への祈りのイベントを行っています。

 

私も申し込みました。

 

今から祈ります。

 

 

 

新しい年が始まりました。

 

昨年はフリーダムディスティニーの平野あやさん開発のLOVINGを

 

濃いヤツを結構受けて、年末には「妥協」と「葛藤」を終わらすのも

 

受けて、仕事でもプライベ^ートでも不要になったものは

 

自分でもびっくりするほど潔くきれいさっぱり脱ぎ捨てました。

 

人と接するにもサバサバ感が更に拍車がかかり、

 

私の貴重な女性性がどこかに置いてきぼりになっていないか

 

ちょっと心配です。

 

年が明けてお正月は、初めて母と弟2人と私の4人で温泉に行きました。

 

コロナ前は大家族13人での旅行で、それは楽しかったのですが、

 

子供達も大きくなり、親子姉弟水入らずというのを経験しました。

 

とても楽しく良い旅でした。

 

私がいない間、フェレットちゃん達を泣く泣く息子に託して

 

注意事項満載に言ってでかけました。

 

帰宅すると、とても喜んでまとわりついてきてくれて嬉しかったのですが、

 

その後、リビングのカーペットを新しく変えた時は私が帰宅した時の

 

少なく見積もっても10倍喜んで、ぴょんぴょん跳ね回っているのには

 

少し複雑な気持ちになりました。

 


 

 

さてさて、今日の本題です。

 

 

ある方のこれまでのお仕事歴のお話を

 

お聞きする機会がありました。

 

一緒に聞いていた方を仮にAさんとします。

 

Aさんは、そのお話についてあとで私にこう言いました。

 

「あの人は自分の華々しい話しかしなかった。」

 

私は

 

「そう?自分の過去のダメダメっぷりも話していたよ?」

 

私とAさんの間になんとなく気まずい空気が流れ、

 

私は話題を変えてしまいました。

 

 

 

これは極端な例ですが、

 

全く同じ話を聞いていたにも関わらず、

 

聞く人によって全く感じ方が違うことがあります。

 

このように全く同じ景色を見たり、同じ出来事を体験しているにも

 

関わらず、人によって見え方が違うことがあります。

 

 

なぜ、このようなことが起きるのかというと、

 

人は自分の過去の体験に基づいて判断をするからです。

 

つまり自分独自のフィルターを通して見たり聞いたりしています。

 

「自分の過去」という色が着いたフィルターを常に耳と目にくっつけていると

 

想像してください。

 

それから、もうひとつ。

 

自分自身を投影して物事を見ていることも

 

原因のひとつです。

 

人は自分の鏡と、よく言うのはこのことです。

 

 

 

昔、そのlことを教えてもらって、実験をしてみたことがあります。

 

私の母は、私にとって口うるさい人

 

と、私は思っていました。

 

ある時、母の毎度のくどくどという話が始まり、

 

私は目と耳からフィルターを外すイメージをして、

 

出来るだけ、「無」になって母の話をただ聞いてみることにしました。

 

そしたらわかったんです。

 

母は私の心配をしてくれてる!

 

晴天の霹靂。

 

他人から見たら、あたりまえじゃん!って思うのでしょうが、

 

毎度毎度、聞いてる私にはガッツリフィルターがかかって、

 

無になるどころか、

 

うるさい、うるさい

 

と心で唱えながら聞いていたのでした。

 

初めて気づいた私は思わず、母に言いました。

 

「私のこと心配してくれてありがとう。」

 

って。

 

そしたら母は突然、口を閉じ、それ以上、小言を言うのを

 

辞めました。

 

 

とにかく、人の話なんか半分も聞いていないと思ってもいいと思います。

 

出来事の本質なんて半分も見えていないのだと思って正解だと思います。

 

そうやって私達は、何故か上手いこと、胡麻化しながら共存しているわけです。

 

 

特に子供や配偶者、そして家族には一番フィルターをかけやすいと

 

いえるでしょう。

 

 

まただ、

 

いつものやつだ、

 

というふうに見聞きして判断決定しています。

 

 

世界中の人が目と耳からフィルターを外して、「無」になって人の話を聞いたら

 

起きていることを見たら

 

世界はずいぶんと変わるかもしれません。

 

 

でも、思うんです。

 

人がそれぞれのフィルターで見聞きするというのは、

 

色々な色合いがあるということです。

 

皆、違うのだということを受け入れていけば、

 

それは美しい色鮮やかな色彩として

 

楽しめるのかもしれません。

 

 

心の底から愛しているよ。