Seven for all mankind について、ちこっと書きます。 | 代官山まったりベランダタイム TCDスタッフblog

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ジーンズカジュアルのマーチャンダイジングを主とする、有限会社TCDのスタッフblogです。
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『Seven for all mankind』 が創業されたのが
2000年9月

私が、『セブン』 に出会ったのが
2001年3月
2004年4月まで在籍させて頂いた「C社」の洗い工場がLAに有り
セブンは、その工場でほとんどのアイテムの開発をしていました。
そんな関係で紹介されたのですが(LA出張の際)
当時、私は、部門長になりたてで、自分の「部」を、何をもってどのようにしていくか
悩みに悩んでいたのでした。

そんな折も折、出会ったのが『セブン』
“ひと目惚れ”
でした。あいや・・・嫉妬心のほうが強かった。ん~ほとんど嫉妬心。
私も“企画者”の端くれ。ジーンズを生業として(この時点で)約15年
知識も経験も有るだけに、分かっちゃったんですよねぇ
『セブン』の面白さや凄さが。
なぜ自分は、この発想が無かったのか!このテクニックを思い付けなかったのか!
自問自答しました。
でもその結論は、「スゲーなこの商品!」「ジェロームってやつスゲー!」でした。
そんでもって日本で一生懸命、このブランドを売ろう!!と決意したのでしたよ。
しつこいようですが、それまで私は、作る人だったんです。
少なくとも、自分以外の人が創った商品を売った事は、金輪際無かったんです。
そんな私が、自分で創るのを諦めて、売る側にまわる決心をした 『セブン』 のどこが
“スゲー” かったのか、ちと雑記ります。

その①・・・ヒップポケット刺繍
今では当たり前、当たり前を通り越して、最早“刺繍”は、衰退期に入って久しいですよね。
でも当時はビックらしました。
恐らく『ジョーダッシュ』や『サッスーン』以来20年来ほぼ無かった発想です。
しかも、当時のデザイナーズジーンズとは比較にならない洗練された、秀逸なデザインでした。
しかしこれは、1970~1980年代のデザイナーズジーンズへのオマージュでもあったのです。
それを端的に表す特徴が、『セブン』にはもうひとつ。

その②・・・センタークリーズ
1970~1980年代のデザイナーズジーンズは、“センタープレス”だった商品が多ございました。
『ディナージーンズ』という打ち出しで、それまでのジーンズと一線を隔し
ややフォーマルなシーンに着用させよう!という算段だったんですね。
そんでもって“センタープレス”・・実に安易。でも、まぁまぁ当たっちゃったんだからしゃーない。
しかしそこはそれデニムの悲しさよ。何回か穿くとセンターだけアタリ出ちゃって
白く細い線が、ビューって。
セブンは、それをデザインにしちゃいました!独特の“コスリ” “ヒゲ” と相まって
んだよ!カッコいいじゃねぇかよ!でした。

その③・・・マンガン・スプレーとシェードの落差
日本とアメリカの「洗い加工」には根本的な違いがあります。
それは、“ドライ・プロセス” 要はコスリの工程です。
日本は、ヨコ型の「ウマ」と言われる木型に、種々な方法でヒゲ型を付けてコスリます。
アメリカは、タテ型で、所謂「フーセン」を使います。
この違いは、商品を見れば歴然です。詳細はまた後日に。
最も大きな違いは「マンガン・スプレー」
日本では、使えない薬剤(マンガン)という事になっています。
(最近、それに異を唱える人もちらほら散見されるようになりました。が・・・)
マンガン・スプレーの特徴は
・スカッと白く抜ける。
・タテ型フーセンとのセットで、広範囲に、且つ自然なボカシができる。
という所でしょう。
また、それまでのジーンズ加工の常識では
コスった部分と、それ以外の部分のシェード差を付けすぎない
「自然な穿き古し感」を表現する事でした。
それをジェロームは、ガツっとシェード差を付けて来ました。
“ウェットプロセス”=釜に水を張り、バイオや次亜や洗剤を使用する工程
を最小限に抑え、ドライプロセスと生地自体を際立たせた加工の登場でした。
ケミカルウォッシュのような極端なものではなく
ヴィンテージウォッシュのように、「よりリアルな古着に近づける」という加工でもない。
完全にデザインされた素晴らしい加工でした!
当時アールジーンとマークジェイコブスも、ほぼ同時に同様の加工をしていました。
後にも先にも、この加工以上の加工に出会ったことはありません。

その④・・・パターン
これも今では、「普通」になってしまいましたが
“極端に前身の小さい”パターン
細く見えましたねぇ~着用時。

もともと『セブン』は、イタリアの『キャンディアニ社』のデニムを多用していました。
ただ、2000年~2001年、まだまだ弱小ブランドだったセブンは
充分な事前の生地予約ができず、本当に困っていました。
そこで我々が日本のデニムMILL『クロキ社』と『カイハラ社』を紹介した事により
ハンドリング、納期、品質が大幅に改善し
2001年5月以降、評価も売り上げも、怒涛のごとく伸びていきます。

初めて『Seven for all man kind』 を見た瞬間
これらの事が、「あっ!!」と言う間に分かっちやたんですよ。
正にコロンブスの卵。
サンプル見たら「あっ!!」という間に分かったのに
なぜ自分自身で開発できなかったのか!ショーックでした。

そして『C社』として正式に契約し、私の部署が日本のディストリビューターとなるのですが
しばらくして、(LAにて)ジェロームと二人でタバコを吸っているとき
拙い英語で聞いたのでした
私:「どうしてセブンみたいなブランドを作ったの?そして、どうして売れたと思うの?」
ジェ:「そりゃ、どっちの答えもプライスだよ!」
ジェ:「アメリカの市場に$150前後のプライスのジーンズが無かったんだよ!」

かなぁ~り意外な答えでした。
でしたが、さらに、スゲーなコイツ!!
と思った私でした。