先日宙組は公演を終えたとのことで。再開が発表された時から時期尚早との声が上がり続けていました。必要なステップ、あるいは禊ぎとなる処分もないまま進められる再開準備。

不必要な好奇の目に晒されるストレスを考えても、問題をしっかり解決しきることが必要だったと思います。



10日あまりの公演、風当たりが強いままこれを急く必要があったのか。そう思わずにいられません。あまりに失うものの大きい判断だったと思います。



千秋楽では挨拶の際、感謝の言葉もあったそうです。昨秋起きた悲劇に触れることなく。

言及するなというお達しがあったことは想像に難くはありませんが、とんだ茶番です。

管理職的立ち位置の該当行為者と目される方も通常通り挨拶を仕切っていたそうですが、どういう心境だったのでしょうか。この立場で問題に関し全く処分がないとは、正直なところあり得ない話です。


聞こえだけの良い挨拶に私はかえって寒気を覚えました。夢を与える世界、それでもときには現実を受け止め噛み締める事が必要です。夢を壊すことになっても、一人の同志のかけがえのない命が失われたこと、それに対する最低限の配慮はあって然るべきでした。


幻想に、逃げてはいけない。この現実に向き合う覚悟がないならば、やはりまだ舞台に戻るべきではなかったのではと思います。




この再開、まだ東京がありますがおそらく昨秋の悲劇は少しずつ風化していくでしょう。経営陣からしたら願ったり叶ったりです。

しかし、私はこの悲劇を風化させぬべく可能な限り声をあげ続けるつもりです。96期問題、その時私はほとんど宝塚には触れておりませんでした。しかしきっと、あのお咎めなしが今般の悲劇に繋がったのだと思います。今回の問題に目を背け風化させては再び同じことが起きてしまいます。そんなことは亡くなった彼女のためにも、ご家族を失われたご遺族のためにも絶対に許してはいけません。 


変わることがなくとも、忘れさせなぬべく楔を打ち続けます。