こちらの投稿を読んでくださってる方々はご存知かと思いますが、私は昨年から続く宝塚歌劇団で起きた問題に対し常に否定的な立場をとっています。それは大まかに言えば体制不備や杜撰な対応、そしてパワハラ認定したにも関わらず処分がないことから生まれるものです。

しかし、私は全てに否定的な見解を持っているのではなく、是々非々で判断しています。今回の問題の場合、その判断基準は全て1人の尊い命が失われたという点に基づくものです。ここを何においても尊重すべきだという立場は今後も変わりません。


宙組再開を反対しているという結論にもそれなりの過程があります。そのひとつは前述した処分のこと、そして再開にあたって踏むべきステップです。



一方で、宝塚歌劇を観劇したことによって得た楽しい時間や精神的豊かさもまた事実です。それも今後変わることはありません。

私自身過去の辛い経験があり塞ぎ込む日々もありましたが、それを救ってくれたひとつはこの観劇です。その時間を否定することはできません。


これまでの全て、そして宝塚歌劇の全てを否定しているわけではないのです。生徒の方々の血の滲むような努力の日々は紛れもない成果の礎です。だからこそ、より良い環境、風土になって欲しいと願っています。




どんな企業、組織、集団生活においてもグループというものが生まれる以上そこには何かしらの問題が出てきます。完璧なものなどありません。そうした問題が起こった時、適切に対処するプロセスをグループとして持っているかが存続に最も大事なことです。

宝塚歌劇には、そうした処分の枠組みが必要なのだと思います。一貫し全てにおいて公平で独立した枠組みが。

変えるために、声を上げ続けたい。そう思っています。