趣味の種類問わずそのコンテンツや個人に熱中する人をファンと呼称することが一般的となりました。


そもそもファンという表現は狂信者という意味からくるものだそうで、元は宗教関連の文脈で使われていたそうです。

https://www.weblio.jp/content/Fa%EF%BD%8E



一方で私の好きなサッカー、フットボールの世界ではサポーターという表現が一般的です。イギリスでの呼称がそのまま用いられているそうですが、文字通りサポートするという意味を含んでいます。


私も欧州に好きなチームがあり、日本代表もよく中継観戦します。それ以外でも欧州様々なチームの試合を見ますが、勝てば狂喜乱舞し、負ければ当然悔しがります。不甲斐ないチーム、経営陣の怠慢、そんな問題にすら関心を持ち、時にブーイングを浴びせバナー広告を飛ばしたり掲げたりと意思を示します。

一概にその全てが正しいとは言えませんが、正しくないと思うときはノーを叩きつけます。そうすることで好きなチームを再び正しい軌道に乗せられると信じて。うまくいくのか、それが正しい指摘なのかどうかは分かりませんが、肯定だけで改善されないのは確かです。



個人的にこのような心構えが今、宝塚歌劇の現状を変えていく上である種必要なのかなと考えています。応援しつつ、しっかりとした観点を持ち時に叱咤する。盲信的に宝塚や個人の全てを好意的に捉え肯定するのではなく、是々非々で物事を捉えて時に耳の痛い内容も伝えなくてはいけないと思うのです。



単なる言葉遊びに近い話ですが、要は全て肯定的に捉えるのではなくダメなものはしっかりと指摘するということです。

既に同じような心持ちで既に今回の問題を深刻に捉えている方も多くいらっしゃるとは思いますが、こうした心構えが広く一般的になることを切に願います。