擁護派と否定派のSNSでの激しいやり取りが続いています。特に元記者を中心とする擁護派はこともあろうに亡くなられた方に対してあるまじき発言やご実家の家業に対して悪質なデマも流布しているようです。


今回の問題、未だ解決には程遠く改善点も多く放置されたままだと捉えている私としては、正直なところ擁護している方々の論調は全く理解できません。それでもまだ認識の近い程度ならいいのですが、あり得ないことに大切な命について心無い言葉が出てきている始末です。

『粗末にした』『自己責任』等が言われているそうですが、こうした倫理観に基づく擁護にどんな説得力があるのか甚だ疑問です。

大切であるはずの命を自ら断つと思い至ってしまった彼女の心的負荷にもっと考えを及ばせなければなりません。労働環境、人間関係こうした問題が露見しているなか自己責任では絶対にないはずです。どこまで彼女の尊厳を踏みにじれば気が済むのでしょうか。




報道が必ずしも全て正しいとは考えていません。嘘を混ぜた誇大な表現も多々あると思います。ただ事実としてひとりの大切な命が失われ、そのことについて大まかに原因を認めたということは絶対に無視してはならないことです。そして、そうした事実に即した適切な処分がなされていないからこそ未だ反発を招いているのです。


そうした状況や報道を客観的に見て賛成反対の立場を表すのではなく、擁護という立場ありきで全ての事柄を見ている気がしてなりません。

命という絶対的に尊重される事柄すら軽んじる。そんな者の言う言葉に価値などないと私は思います。



命という倫理の不可侵ラインを踏み越えてまで守るのは歪んだ愛です。そのことに気づかない限り、再びこうした悲劇が起きてしまうかも知れません。