本日は重い話題となります。ただ、触れないわけには行けない大切な、大きな問題だと捉えていますので現状私が感じていること、考えていることを皆様に知っていただきたいと思います。

※あくまで週刊誌報道のみの部分が多いため、個人名は控えさせていただきます。予めご了承ください。

 

まずはじめに、昨年9月に亡くなられました生徒の方に改めてご冥福をお祈りしますとともにご家族の皆様に心よりお悔やみ申し上げます。こうした選択をとらざるを得ないほど思いつめられ傷ついていらしたこと、大変心苦しく、残されたご家族様の事を考えますと心中察するに余りあります。

 

今回こうした問題が起きてから週刊誌等にて様々なことが報道され、そのたびに私自身心痛め悩む日々でした。正直申しますと、問題解決がされないなか観劇をしていていいのだろうかという思いが今も拭えません。そうした思いを整理する考えもありこうして筆を執った次第です。

 

まず、私のなかで常に問題と捉えているのは昨年はじめから続く報道に対する劇団のおざなりな対応でした。こうしたデリケートな問題、特に人気商売である以上、真偽の調査に留まらずその発表に至るまで劇団が責任をもって行うべきでした。昨年1月にはトップスターによる相手役へ嫌がらせ疑惑報道がなされ、2月にはおそらく悲劇の元凶となったであろうやけど加害疑惑の報道がなされました。こうした生徒間での問題を上層部として対応せず、結果的に閉ざされた空間たる生徒間で解決させようとしたことが悲劇を起こし、問題をより大きくした一因であると考えています。事件後は連日様々な報道がなされ、日々疑惑は膨れ上がり様々な問題が指摘されるようになりました。

 

ここで疑問に思った方もいらっしゃると思いますが、なぜ私が全ての事柄に対し疑惑報道と呼称しているのか。これには現状まだ調査及び話し合いの段階であり、推定無罪の原則から個人名を出すこと、断定した表現は避けたかったという理由があります。最近ですと大きく取沙汰されている芸人さんの性加害疑惑、サッカー日本代表選手の性加害疑惑などがありますが、どちらも訴訟や告訴段階で有罪確定はしていません。こうした段階で個人名を上げることはその後無罪だった場合の名誉回復に大きな影響を及ぼすと考えたためです。幸いにしてこの宝塚における諸問題は大手メディアでの報道において引き続き個人名が伏せられています。が、あくまで調査およびご遺族側の方との話し合いが終了していない段階ですのでその点留意すべきだと考えてました。

一方で疑惑の事象が起こっていないとも考えていません。こうした際調査する側は特に事案があった前提で全ての事象に疑いを持って取り組まなければいけないと思います。

 

 

話を戻しまして、今回の問題の発端は前述したように解決を当事者間、あるいし上下関係という利害が強い生徒間によって行われたことが大きな要因と捉えています。上下関係の厳しさは周知のとおりでそれが問題の解決にとてつもない歪みを生じさせてしまったことは想像に難くありません。当初報道がなされた時点で完全に独立した第三者に調査を依頼し、オープンな状態で解決に努めるということが必要でした。亡くなられた後も同様です。こうした疑念の積み重ね、隠ぺい体質が未だ解決といかない現状を生んでしまっているように思います。

また同時に演出家とのトラブルや演出家同士のセクハラ・パワハラ問題もあります。こちらについても指導という範疇を逸脱した言動、あるいは性的言動があったかどうかきちんと調査をすべきだと思っています。個人の趣向については尊重されるべきですが、それを他者に強要したり上下関係を利用して振りかざすのは言語道断です。



一連の様々な報道について、劇団は真偽の調査と適切な処理を行うべきだったと考えています。同時に誤りや根拠なき報道であった場合、毅然と対応すべきでした。本当に生徒を守る気があるのならばです。内部告発とされるものが増えているのも遵法精神に欠ける上層部への不満からと思います。まずは過ちを認めて諸問題を改善していくことが必要だと捉えています。

 

最後に、一連の報道で疑惑の上がった方々に伝えたいのは、もし事実であるならば潔く認め頭を下げて欲しいということです。現代社会において、過ちを認めれば一生ついて回り、後ろ指をさされ続けるものかもしれません。それでも、過ちを認め謝罪することから始まります。




非常にデリケートな問題ですが、今回改めて取り上げることにいたしました。様々な意見があるかと思いますが、個人の責任、組織の責任をそれぞれ取る必要のあるところがしっかりととるべきだと思います。