お正月はめでたいものですが、昔アニメの「一休さん」のある回を観て考えが変わりました。クリスチャンなのに仏教の一休さんのお話をするのは変かもしれませんが、宗教に関わらないことだと思いましたので少し書かせてください。
一休さんと言えば毎回とんちで痛快に問題を解決してくれてすっきりした気持ちでエンディングを迎えるのが常だと思っていましたが、ちょっと違うテイストの回がありとても印象に残っています。
お正月で町中人々はめでたくて浮かれているのですが、一休さんはお経を読みながら長い棒の先にしゃれこうべをひっかけて町を練り歩くというのがこの回のエンデイングでした。
いつも楽しい一休さんなのに・・・というギャップと、ビジュアル的にも衝撃だったんです。
みんなお正月にめでたいと浮かれているが、新年を迎えるということは死にまた一歩近づいたということなのだというメッセージだったのです。
多分これは再放送です。私は大人になりかけの頃だったので、この物語の意味もよくわかりました。
Wikipediaでアニメの一休さんについて調べてみたところ、1976年1月7日で放送された回に「めでたくもありめでたくもなし」というタイトルがありました。多分この回を観たのでしょう。さらに調べると一休禅師の言葉で以下の言葉が残っているようです。
「正月は 冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」
この言葉は一休禅師が正月に頭蓋骨を持ち町を歩いた逸話にあるようで、あのアニメの回もこの逸話が元なんでしょう。
お正月はお年玉ももらえて、ごちそうも食べられて、みんな集まって楽しいことだらけでした。かなり浮かれていました。だけど一休さんの言う通り、新しい年を迎えたということは死に近づいたというのは間違いない。
しかし、考えてみればお正月に限らず、私たちは生まれたからには日々死に近づいているんです。一休さんは1年に1回お正月に改めて思い直しましょうと言いたかったのかな。
そして、ただ死への恐怖心を駆り立てるだけの言葉ではなく、死に近づいているからこそ一日一日を大切に生きていかなくてはいけないという裏のメッセージを覚えておかなければなりません。
「死」とは恐ろしいものと考えられますが、キリスト教の死は最後ではありません。自分の罪を悔い改め、救い主イエス・キリストを信じることで永遠の命をいただけます。これがキリスト教の教えの良い所です。
神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。 (ヨハネによる福音書3:16)
これは私の結論ですが、お正月は浮かれてばかりいるのではなく、死に近づいていると思い起こす機会にする。だけど、どちらにしても日々死に近づいているんだから、そんなことを思いつつお正月は少々浮かれてもよいとする。長々書きましたが、結局そう思うことにします。
しかし、あんなに昔にたった1回たまたまみた一休さんをお正月が来るたびに思い出すなんて、よっぽどパンチ力のある内容だったんですね。
お正月から重いお話をしてしまってすみません。最後まで読んでくださった方、ありがとうございます。
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