渡辺充.2024.「最高裁の解釈汚染」『税務弘報』について

#渡辺充「#最高裁の解釈汚染」『税務弘報』の中で言う、「納税者の租税回避行為の介在(#主観)」とは、伝統的な租税回避行為の(真の)意図とは違うものを指している。

「いずれにしても判断の主体に主観を持ち込むことに筆者は反対」とあり、文字通りの主観を指している。

「いずれにしても判断の主体に主観を持ち込むことに筆者は反対で、 このまま租 税回避の”解釈汚染”による事例が積み重なると税法の風景は、われわれの視野や価値観が及ばないところに変わっていくのではないかと危惧するものである。」

価格乖離型乖離の検討とは、「特別の事情」、納税者の租税回避の存在等がなくても総則6項の適用可能性を示唆しているのか。

租税回避型乖離との関係は?

 

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渡辺充.2024.「最高裁の解釈汚染」『税務弘報』

 「著しい」という用語自体は税法が好む用語であるが、これも不確定概念である。筆者自身も この論考で解釈汚染をまき散らしているかもしれないが、少なくとも不当という用語よりは科学的で、実際の大きな法人税額の減少に対抗できるのではなかろうかと考える。 

 次に、「総則6項令和4年最高裁判決」である。これは、いわゆるタワマン節税に対し、最高裁が従来の総則6項の「特別の 」につき、「実質的租税負担公平事情」なるものを掲げ、そこに合理的理由の有無を見いだし、総則6項の適用に関する平等性を判断するものと判示したものである。特に納税者の租税回避的行為の介在 (主観)に、総則6項の判断の 力点が置かれるべきであるとした点が特徴的である。その後、この最高裁の判断枠組みに照らし、実際に東京地裁令和6年1月18日判決は、積極的な租税回避がみられない以上は、総則6項の適用はないとし、納税者勝訴の判決を下している (税務当局控訴)。しかし、筆者は、総則6項の判断基準 は「価格乖離型乖離」と「租税回避型乖離 」の2つの基準を 総合的に勘案するという従来どおりの検討が必要であると考える。 総則6 項自体は、そもそも租税回避行為を第ーとして否認する趣旨のものではない。この定めは、通達評価による評価額が相続税の評価にあたり「著しく不適当と認められる財産の価額は」と書かれているが、これも上記と同様に「著 しく減少」と文言を改正することで、まず価格乖離型乖離が明らかなときに、それが客観的交換価値と比較衡量して大きな誠額がある場合に適用されるものとすべきである。ただし、価格乖離型乖離については、上記東京地裁判決も批判するように、一定の金額的ガイドラインが存しないのが欠点で(そんなものは設定できない とする者もいるが)、筆者は土地につき別稿(「総則6項再考」税研39巻6号(2024年))でこれ を模索したが、一定のガイドラインを見える化して世の中に提示することは、今後われわれの課題となろう。いずれにしても判断の主体に主観を持ち込むことに筆者は反対で、 このまま租 税回避の”解釈汚染”による事例が積み重なると税法の風景は、われわれの視野や価値観が及ばないところに変わっていくのではないかと危惧するものである。