税理士活動25年を振り返って


(税理士会江東西支部の会報掲載決定)


東京税理士会江東西支部から会報掲載のための原稿執筆の依頼を受け、改めて誤解のないように文章を見直して、原稿執筆をしました。


読んでいただけると幸いです。


(括弧内は、文書化による誤解を避けるために削除した部分です。)


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税理士 細川 健


 先日は税理士業務歴25年表彰、ありがとうございました。また、本稿執筆の機会も与えていただき、ありがとうございます。少し長くなりますが、この場をおかりして25年、国税不服審判所国税審判官時代も入れると実質28年の税理士としての活動を振り返ってみたいと思います。


 私が就職先として東京国税局を選んだのは大学で学んだことを仕事に生かせると漠然と思ったからです。しかしながら、大学OBに税務署の仕事内容や職場環境などについて聞くなどの事前の情報収集は何もしていませんでした。


(真面目に就職活動をしなかったことを深く、深く後悔しました。


先輩、大学OBに職場環境を事前に聞くという就職活動の基礎の基礎を怠っていました。


原稿には書きません。)


実際に働いてみると、仕事は予想以上にハードで、とりわけ、人間関係も本当に大変でした。1980年代の好景気もあって、優秀な方は独立志向を高めて職場を去っていきました。また、仕事や人間関係の重圧で精神を病み、辞めていく人も数多くいました。


( とんでもない職場で、優秀な人ほどドンドン辞めて行きました。定年まで勤めるのは極めて困難😓なことは明かで、深く、深く後悔しました。


独立志向のなかった当時の私は、本当に、途方に暮れたのです。もちろん、原稿には書きません。)


そんな中、私は10年余、ただただ税務署の仕事をこなして酒を飲む日々を送っていましたが、一念発起して大学院に通い始めました。


きっかけは、映画『セント・オブ・ウーマン』の主演、アル・パチーノ(盲目の元軍人、フラン・スレード大佐)の感動的なスピーチにあります。


(大好きな映画なので、ぜひ、観てください。)


高校、大学と真面目に勉強しなかった反動でしょうか、大学院での学びは大変楽しく、また、優秀な同級生からもよい刺激を多々受けました。


大学院で租税法修士論文を書き上げ、勤続十数年をもって税理士資格を取得できました。


(その頃お世話になった山口不二夫先生には、その後もお世話になりっぱなしです。


大学院側としては、税金関係者も一人は入れたいということで私を入れてくれたのでしょうが、他の優秀な学生と比べると、ありとあらゆる面で自分はレベルが低いのは明かで、本当に良い刺激を受けました。)


 また、大学院と同時期に英語の学校にも通いました。洋画鑑賞やアメリカのプロレスが好きだったので、高校時代から英語だけは好きで得意でした。


(映画シナリオのスクリプト、アメリカン・プロレスのインタビュー、記事等)趣味を基に英語の基礎ができていたので、ビジネス英語を学ぶことで、仕事で実際に使える英語力を短時間で身に付けることができました。


 税理士資格に加えて英語力というアドバンテージにより、37歳で国税を辞した後、税理士として最初の仕事を米国系法律事務所に得て、数々の国際税務関係の仕事に携わることができました。


 また、大学院で学ぶ中で徐々に抱くようになった夢は、大学・大学院で教鞭を取ることと租税法関係の本を出版することでした。


 両方とも無謀な夢と自他共に思われ、税務署時代の同僚からは「馬鹿じゃないの?」と大笑いされたものでしたが、米国系法律事務所でM&Aと営業権(のれん)の実務を経験したことから、『M&Aと営業権(のれん)の税務』を上梓(じょうし)することができました。


 また、米国系法律事務所に所属した後、他の外資系企業でタックスマネジャーを務める中、私立大学の非常勤講師の職を得ることができました。その後、国立大学の准教授の公募に応募し採用され、租税法修士論文作成の指導に当たることができました。


その後も私立大学で修士論文の指導に当たりました。この経験から、租税法修士論文の書き方についての書籍がなく、その必要性を感じたことが『租税法修士論文の書き方』出版へとつながりました。


 この間、2011年には、国税不服審判所国税不服審判官の公募に応募し、3年間国税不服審判所国税審判官として働くこともできました。


 こうして書き連ねてまいりますと、全て順風満帆(じゅんちょう まんぱん)、何の苦労もない税理士人生のように思われるかと思います。確かにこの28年間、様々な仕事に携われたことは幸運の一言です。


 しかしながら、実際はどのステージでも苦しかったこと、辛かったことを挙げれば枚挙にいとまがありません。


(思えば、本当に良くここまで来れました。


 奇跡に近いと言えるでしょう。


 同期の大部分は税務署から脱出できず、窓際族で定年を迎えました。


 税理士として成功した私ですが、妬み嫉みから、同業者による誹謗中傷、業務妨害、嫌がらせは今も続いています。本当に残念な話です。


原稿には当然書きません。)


 ただ一つ言えることは、「努力をしなければ報われることはない」ということです。どんなに大変でも常に学び続ける努力は怠りませんでしたし、書籍や専門誌の原稿執筆のために投下した労力や時間は膨大です。論文執筆は「言うは易く行うは難し」であり、ほぼ2年間苦労して取り組んできた『暗号資産とNFTの税務』もようやく出版できそうです。


( 実は、人生には、本当は、運とタイミングが一番重要だと思っています。


そして、運を引き寄せる日々の努力が必要であり一番大事だと思っています。


原稿執筆にしても、何だかんだと、もっともらしい様々な理由をつけて、論文を書こうとしない税理士を大勢見てきました。それは、一人や二人ではありません。


頭に来るとかそういう話ではなく、淡々と事実関係を書いていますが、悲しい話です。


当然、原稿には書けません(^_^)(^_^)(^_^) )


 「努力が前提」であることを強調しましたが、これまで税理士としてやってこられたのは、苦境の中で助けてくれた税務署時代の同僚や友人・知人、大学院の恩師である山口不二夫先生、妻の洋子、愛猫のTAXちゃんなど支えてくれた方たちのおかげでもあります。この場をおかりして深くお礼を申し上げたいと思います。


 コロナ感染の後遺症に長く悩まされていることを始め、年齢に伴う体力、集中力の衰えを感じることの多い今日この頃ですが、これからも、M&Aと営業権(のれん)の税務、交際費課税、重加算税など興味のある分野の研究を続けて発信していきます。研修等の場で皆様と意見交換、情報交換をさせていただき、研鑽を積みたいと思っています。


これからもご指導、ご鞭撻の程よろしくお願い申し上げます。

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