プロレスの生き証人、舟橋慶一先生の脅威的な記憶力


 

プロレスの生き証人、舟橋慶一先生の脅威的な記憶力には本当に驚かされます。昭和50年の高見山大五郎のスポンサーによるハワイ道場建設は、高見山大五郎と千代の富士貢のプロレス転向計画と密接に結びついていたことが判明しました。


この話が掘り下げられるのは、2024年9月1日土曜日の第2回TalkScrambleはなく、その後の第3回Talk Scrambleの予定です。


 

アリ猪木戦の経緯を考えると、舟橋慶一先生のこの証言は、歴史的に極めて貴重な証言だと思います。

 

梶原一騎が豊田泰光、ユセフ・トルコと一緒に、高見山大五郎と千代の富士貢を両看板にして、大日本プロレスを昭和53年に立ち上げようとしたが、役員の一人が資金1億5千万円を持ち逃げして実現しなかったと著書に書いているそうです。高見山がハワイに道場建設をしたのが昭和50年2、3月、計画がポシャったのも昭和50年中ですから、梶原一騎の大日本プロレス計画は全くの法螺話ということになるでしょう。

 

大位山勝三がプロレス転向を考えている千代の富士貢にウェイトトレーニングを教えたのは昭和50、51年頃という証言とも、舟橋慶一先生の証言は時間軸がピッタリ一致します。

 

高見山大五郎のスポンサーによるハワイ道場建設が本当にプロレス転向のためかは、これまでずっと、皆、半信半疑だったと思います。

 

>1975年、猪木アリ戦の1年半前、永里高平さんが、アマチュアレスリング海外視察にアメリカを訪れていた師匠の八田一郎さんから国際電話をもらったのが1月中旬でした。・・・(中略)・・・

 

>その後、思案した永里(高平)さんは初場所終了後の1月末、昵懇の間柄の当時の春日野理事長(元横綱栃錦)に相談。・・・(中略)・・「アリの相手は高見山でどうか」と持ち掛けたのが2月初旬。春日野理事長はいったんは「タニマチの問題もあり、かなり難しいのではないか」と返答したが、盟友の永里(高平)さんからの相談でもあり、春日野理事長が高見山(大五郎)に「こんな話があるのだが・・・」と耳打ちしたのが2月10日ごろであると思います。

 

>ところが高見山(大五郎)はその話を”真剣に受け止めて”しまい、もともとの”プロレス志向”の思いに火がついてしまいました。・・・(中略)・・早速、ハワイにプロレス道場を作る計画で動き出してしまい、春日野理事長も相撲協会内部のコンセンサスもないまま高見山(大五郎)が動きだしたので、「ザトさん、この話はなかったことにして」と永里高平に伝えてたのですが、ことはすでに進んでいました・・・・・。そこに3月初めに八田一朗が帰国、羽田の記者会見でのサンケイスポーツの記事になり、大騒ぎになった・・・という経緯があります。

 

>記者会見の前にその情報はN〇〇の大物〇〇氏から極秘に寵愛していたア〇〇〇〇〇木さんにリークされ、その後の展開になっていきました。第3回のTalkScramble(今年11月末~12月初旬に予定)はその辺に焦点を当てたいと思っておりました。よろしくお願いいたします。なお、第2回の玉さんvs舟橋のTalkScrambleは9月1日(日曜)開催ですので、そのあとになりますが・・・・・。