高見山大五郎プロレス転向未遂事件はアリ猪木戦に繋がるのか?

 

舟橋慶一先生から貴重な証言をいただきました。

 

昭和50年に起きた高見山大五郎と千代の富士貢のプロレス転向未遂事件は、どうやら、昭和51年6月26日のアリ猪木戦に繋がるようです。

 

ハワイに道場を準備した高見山大五郎のスポンサーがハワイアン・マフィアでなければ、高見山大五郎はそのままプロレスラーに転向、モハメド・アリと対戦していたでしょう。

 

「第3回のTalkScramble」が非常に楽しみです。

 

>永里高平さんが、アマチュアレスリング海外視察にアメリカを訪れていた師匠の八田一郎さんから国際電話をもらったのが(昭和50年の)1月中旬でした。その後、悩んだ永里さんは初場所終了後昵懇の間柄の当時の春日野理事長(元横綱栃錦)に相談。「アリの相手は高見山でどうか」と持ち掛けたのが(昭和50年の)2月初旬。春日野さんはいったんは「タニマチの問題もあり、かなり難しいのではないか」と返答したが、盟友の永里さんからの相談でもあり、高見山に「こんな話があるのだが・・・・・・」と耳打ちしたのが(昭和50年の)2月10日ごろであると思います。

 

>ところが高見山はその話を”真剣に受け止めて”しまい、もともとの”プロレス志向”の思いに火がついてしまい、その後の展開になったと思います。早速、ハワイにプロレス道場を作り動き出してしまい、春日野も相撲協会内部のコンセンサスもないまま高見山が動いきだしたので、「ザトさん、この話はなかったことにして」と永里に伝えてたのですが、ことはすでに進んでいました・・・・・。

 

>そこに3(昭和50年の)月初めに八田さんが帰国、羽田の記者会見でのサンケイスポーツの記事になり、大騒ぎになった・・・という経緯があります。記者会見の前にその情報は〇〇の〇〇氏から極秘にア〇〇〇オ〇木さんにリークされ、その後の展開になっていきました。第3回のTalkScrambleはその辺に焦点を当てたいと思っておりました。よろしくお願いいたします。