前田日明の語るローラン・ボック

 

1978年11月25日、シュツットガルトで行われたアントニオ猪木とローラン・ボックの戦い、シュツットガルトの惨劇について、前田日明が語っている。

 

アントニオ猪木は1976年6月26日のモハメド・アリ戦の失敗により9億円の借金を背負い、11戦(実際は23日間で20戦)、1億円のファイトマネーを提示されたことを魅力に感じてローラン・ボックの求めに応じたのだった。

 

対談の中にはローラン・ボック以外にジョージ・ゴーディエンコ、ウェイン・ブリッジ、ジョニー・ロンドスが登場するが前田日明はほとんど関心がないようである。ジョニー・ロンドスは第一次UWFに参加して前田日明と対戦までしていて、ローラン・ボックの師匠とも言われているのだが、「忘れた、覚えていない」というコメントには本当に驚かされる。

 

前田日明は、本当は、プロレスは大嫌いで、自分の頭の中で考えた格闘技を志向していたのかもしれない。

 

ウィルフレッド・デードリッヒについても、ほとんど知識がないようで、前田日明は、基本的に他人に興味がないように思われた。情報は、「猪木はウィルフレッド・デードリッヒに壊されたのではないか。」という新間寿の情報だけ、ひょっとすると同行したのはスパーリング・パートナー兼用心棒の藤原喜明だけだったのかもしれない。

 

前田日明は「ローラン・ボックは関節技は知らない。レスリングのスキルがない。」と断じていて、ガス灯時代の理想のプロレスとは違うものと認識していたようである。

 

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