ミスター珍の糖尿地獄からの生還

ミスター珍(出口一)著『糖尿地獄からの生還』を読んだ。重い糖尿病に苦しみながらも、インシュリンを打ちながらプロレスを続け、ついにはFMWのマットで還暦にしてカムバックしたミスター珍の長くて苦しい糖尿病との闘いを綴った名著である。

ミスター珍は糖尿病に関する知識に欠け、食事療法やカロリー計算を一切しなかったこと、合併症の怖さがまったく理解できなくて、最終的には片目の失明もう片方の目の手術、腎不全による週二回の人工透析を経験していることを事細かに書いている。

インシュリンを打ちながらテネシー遠征で大成功し、2年間にわたりヒールとしてメンエベンターになったミスター珍であるが、食事は大量のビールとフライドチキンとフライドポテトであった。強行スケジュールと杜撰なファーストフードによる食事が糖尿病悪化に拍車をかけたことは想像に難くない。

国際プロレスにヒールとして後楽園ホールに凱旋帰国、恩人であり師匠の永六輔に「珍さん、お帰りなさい」と声をかけられ、一瞬笑顔を見せるも、「俺は、ミスター・ヨト(米国のヒール時代のリング・ネーム)だよ!」と凄んでみせた姿はTAXMANIA犬の脳裏に焼き付いて離れない。

 

ボロボロになりながらもトレーニングを続けて還暦でカムバック、FMWの後楽園ホール第一試合で奮闘するも若手に簡単に敗れ、目をつぶり合掌して温かい拍手に包まれた姿も印象的である。

力道山時代のプロレスの印象的なエピソードも記述されている。手加減、打ち合わせなしのセメント(真剣勝負)で行なわれた道場対抗戦に、山口利夫道場から出場したミスター珍は、何と、白頭山という韓国のホープに金蹴りを喰らわせて反則負けを宣告される。ところが、ミスター珍のキャラクターとセメントの強さを認めた力道山は、ミスター珍を「俺のところに来い」と日本プロレスにスカウトするのである。糖尿病に苦しめられ、幸薄かったプロレス人生を、生き生きと楽しそうに描いている。