日本人同士のボクシング世界戦の意味

1967年12月14日
世界Jライト級タイトルマッチ
沼田義明(極東)vs小林弘(中村)
小林が12回TKOで新王者

1972年3月4日
WBA世界フライ級タイトルマッチ
大場政夫(帝拳)vs花形進(横浜協栄)
大場が判定で防衛

1973年4月20日
輪島功一(三迫)vs龍反町(野口)
輪島が判定で防衛

1982年11月11日
WBA世界Jバンタム級タイトルマッチ
渡辺二郎(大阪帝拳)vs大熊正二(新日本木村)
渡辺が12回TKOで防衛

1983年6月23日
WBA世界Jバンタム級タイトルマッチ
渡辺二郎(大阪帝拳)vs仙台ラミレス(仙台)
渡辺が判定で防衛

1985年9月17日
WBC世界Jバンタム級タイトルマッチ
渡辺二郎(大阪帝拳)vs勝間和雄(神林)
渡辺が11回TKO勝ちで防衛

1992年9月11日
WBA世界Jバンタム級タイトルマッチ
鬼塚勝也(協栄)vs松村謙一(JA加古川)
鬼塚が5回TKOで防衛

1994年12月4日
WBC世界バンタム級王座統一戦
薬師寺保栄(松田)vs辰吉丈一郎(大阪帝拳)
薬師寺が判定で正規王座防衛(辰吉は暫定王座失う)

1996年8月26日
WBC世界フライ級タイトルマッチ
勇利アルバチャコフ(協栄)vs渡久地隆人(十番TY)
勇利が9回TKOで防衛

1998年4月29日
WBA世界Jバンタム級タイトルマッチ
飯田覚士(緑)vs井岡弘樹(グリーンツダ)
飯田が判定で防衛

1999年11月7日
WBA世界Sフライ級タイトルマッチ
戸高秀樹(緑)vs名護明彦(白井具志堅)
戸高が判定で防衛

ここら辺りまでは、日本人同士の世界戦が大変なイベントだったことが分かります。67年から99年まで33年でたった11試合しか行われていないからです。

 

とりわけ、1972年の大場政夫と花形進の熱狂は、凄まじいものでした。

 

67年から1992年までの26年に限れば、たった6試合、これらは、本当の世界タイトルマッチだったのではないでしょうか。


2000年2試合
2001年1試合
2002年1試合
2003年1試合
2004年2試合
2005年2試合
2006年1試合
2007年3試合
2008年5試合
2009年2試合
2010年1試合
2011年2試合
2012年2試合
2013年2試合

 

データは2013年までしかないのですが、実は、やろうと思えば日本人同士の世界戦を年間何試合でもやれる状況にあり、敢えて抑えている状況に2000年以降はあることが分かります。それでも、2008年は5試合(^_^)(^_^)(^_^)

 

これは、本当に世界タイトルマッチと言えるのでしょうか?

 

ボクシング団体数が増えたことに加えて、階級の刻みを細かくして世界タイトル数を水増しし、日本、アメリカ、メキシコのローカルチャンプを当てはめただけの可能性は否定できません。

 

つまり、日本、アメリカ、メキシコのローカルチャンプが世界チャンピオンを名乗っているという構造です。

日本限定のローカルチャンプであれば、日本人同士の戦いが実現するのは当たり前の話だからです。