サイレンススズカの悲劇

-営業権(のれん)のちょっといい話20-

(内容を精査して再掲)


1998年11月1日の東京競馬場は歓声が悲鳴と怒号にかわり、そしてため息に包まれました。第18回の天皇賞、第3コーナーまでぶっちぎりの独走を続け、大逃げを打った一番人気、サイレンススズカが第4コーナー手前で左前足を複雑骨折、試合を途中で棄権し、安楽死の処置を受けたのです。 その日は私の40歳の誕生日、そのできごとはよく覚えています。

 

 

 

サイレンススズカの父は、米国競馬界において稀代の名馬と謳われたサンデーサイレンスです。その名馬の走りには、その名前のとおり、観客が思わず息を呑む威厳があったのかもしれません。日曜日の競馬場はサンデーサイレンスの登場により、一瞬、静けさに包まれたのです。



血統の話をする時、競走馬の母親が問題にされることは非常にまれで、父親、祖父が有名な馬であるか否かが問題とされます。一説によれば、現在活躍中の競走馬の先祖をたどれば数頭に絞られるといます。もちろん、血統がいくら良くても活躍できない馬もたくさんいますが、業界全体が極端に血統を大切にするところから、「種付け」という特殊なシステムが生まれました。

 

 

 

種牡馬(たねひんば)の種付けの権利を共同購入するシステムです。その共同出資者は 「シンジケート」と呼ばれ、出資者が明らかにされない場合が多いのです。その理由は、種付け株の権利を持つ出資者は必ずしも牧場主とは限らず、種付け株も転々と譲渡されるからです。また、良い血統の子馬を親と一緒に生まれる前に取り引きする、「子分け」と呼ばれる習慣も生まれました。牧場主にとっては、生まれてくる馬の当たり外れと資金繰りのリスクを馬主に転嫁することができ、馬主にとっては独自の情報と人脈をフルに回転させて決定する先行投資額を最小限にすることができるのです。

 


子馬が生まれると その血統、所有者等を日本軽種馬協会に登録するのは牧場主の仕事です。その登録証は不動産取引における権利書の役割を果たし、馬の出生牧場と血統 (父親、祖父の名前)が登録されます。ここで特徴的なのは、馬を譲渡しても馬主の名前が変更登録されるとは限らないということです。誰が登録証を持っているかが重要になります。
 

 

サイレンススズカがレースの途中でよろよろとコ ースから外れる映像を見た私は、悲運の競走馬サイレンススズカとその騎手、馬主そして牧場主の嘆きと無念さを思い浮かべました。悲劇は、誰にでも、突然襲ってくるのです。

 


競走馬を育成するシステムや実情はなかなか一般に明らかにされません。 競馬にかなり詳しい人でも、ここに書いたようなおもしろい話はなかなか入らないと嘆きます。 

 

 

 

私は、税務の仕事を通じて競馬界に接触し、わざわざ、競走馬の出生地である北海道の牧場まで出かけました。部外者として競馬界の営業権 (のれん) に接した数少ない果報者ということになるのかもしれません。