人材の含み益と営業権(のれん)

-営業権(のれん)のちょっとよい話13-

(重要事項につき、内容を精査して再掲)

 

これは、『M&Aと営業権(のれん)の税務』(税務研究会出版局 2000年)に掲載したものを、2024年3月に改めて書き直したものです。

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企業会計審議会は、1988年10月16日「退職給付に係る会計基準の設定に関する意見書」を公表しました。内容を極めてわかりやすく解説すれば、「現在企業が抱えている従業員の退職金、年金等に関する負債の現在価値をはっきりさせましょう。」ということです。

 

 

米国企業と比較して、日本企業は収益に関して長期的な視座に立ち事業計画を策定しているというのは一般常識ですが、こと会計・税務に関しては、フローの概念で収益・費用を測定するのが中心で、長期的な収益・費用に結びつくストックの概念が完全に抜け落ちていたことが多かったように思います。

 

 

私がこのコラムを書かせていただくきっかけになった営業権 (のれん)と土地等の含み益の峻別の問題もそうですし、2000年代初頭、深刻な問題であることから繰り返し検討されたにもかかわらず、銀行の不良債権の金額がなかなか明らかにならず、日本の金融機関の再編が大幅に遅れたのも、根っ子のところは同じ問題だと私は考えています。

 

 

会計・税務に関するストックの概念の欠落と公開情報の不足は背中合わせの問題かもしれません。「日本人には情報の完全公開なんか無理に決まっているよ。」なんてことをしたり顔で言う人もいますが、不完全であれ何であれ、会計・税務を含めたシステムの改革を少しずつでも進めなければ事態は一向に改善されません。

 

 

高瀬荘太郎は『暖簾の研究』(森山書店 1930年)の中で、4つの独占的条件(超過収益力の源泉)を提示し、のれん(暖簾)とは、独占的条件による超過収益力の生成と将来の超過利益獲得の機会の所有であることを示しました。

 

 

その4つの独占的条件とは、①人的条件又は技術的条件、②法的条件、③自然的条件、④資本家的条件又は経済的条件であり、真っ先の1つ目に人的条件又は技術的条件(経営者や使用人の才能、技術、性格)を挙げていますから、人材の問題は営業権(のれん)の分析にも欠かせないことがわかります。

 

 

移転価格税制上の無形資産は、減価償却ができない無形固定資産に区分されるのか、分類不能な資産として減価償却が可能な無形固定資産である営業権に区分されるのかがしばしば話題になることがあります。「顧客リスト、特許で保護されていない技術、ノウハウ、データベース」は営業権(のれん)に該当という暴論も実際にあります。

 

 

薬価のネガティブ・データとそれの分析に携わっていた研究員が譲渡(移転)可能性のある営業権(のれん)として評価されることがあるように、顧客リスト、特許で保護されていない技術、ノウハウ、データベース、販売網、営業上の秘密等を営業権(のれん)に区分するのであれば、営業権(のれん)の独占的条件、とりわけ人的条件又は技術的条件を絡めて丁寧に議論することが前提になります。

 

 

企業(組織) の営業権 (のれん) を高めるための最大の資源が人材であることは疑う余地がありません。企業審議会の「退職給付に係る会計基準の設定に関する意見書」はその分析のための基礎資料を提供するきっかけになったと評価できるのでしょうか。人材としての含み益のような曖昧な議論よりも、終身雇用を前提としていた日本企業が抱える従業員の退職金、年金等に関する負債の現在価値の明確化の方がはるかに重要かもしれませんね。