「華麗なるギャツビー」をもう一度考える

 

-これは、昔やっていたブログ「タックスマニアの健康日記」やFacebookに掲載した記事の中で、評判が良かったものを再掲載しています-

 

レオナルド・デカプリオ主演の「華麗なるギャツビー」のリメイクが話題のようで、さっそ見に行ってきました。

 

原作はフランシス・スコット・キー・フィッツジェラルド(Francis Scott Key Fitzgerald)の1925年の作品ですから、古典と言ってもよいでしょう。

 

TAXMANIA55にとっても、ロバート・レッドフォード主演の「華麗なるギャツビー」は思い出深い作品であり、原作も英語で繰り返し読みました。

 

村上春樹も、「この本を読んで、何度も面白いと感じる奴なら友達になれそうだ」と自身の作品の中で語らせています。

 

A君「何を読んでいるんだい?」

僕「『華麗なるギャツビー』を読んでいる。」

A君「面白いかい?」

僕「面白い。何度読んでも面白い。」

A君「『華麗なるギャツビー』を面白いと言える奴となら、友達になれそうだな。」

 

裕福な家庭に生まれた、この作品の語り部のニック・キャラウェイは、その父親から、「誰もが同じように裕福な暮らしをして大人になった訳ではない、それを忘れるな」と、幼少の頃から繰り返し教えられます。

 

そして、謎の富豪、ギャツビーと無二の親友になりながらも、ギャツビー自身により語られる完璧な過去の学歴や経歴、そして家庭環境を聞いて、「ギャツビーは危ない奴だな」「ひょっとすると、嘘の塊では」と思うのは、ほかでもない、ニックが最初なのです。

 

ニック・キャラウェイが胸に刻む父親の助言が響きます。

 

育ちとは何か、お金と名声とは何か、そして、人生の成功とは何かをこの作品は問いかけます。

 

そして、麻薬取引で巨万の富を得て、連夜のように開催されるパーティでギャツビーが求め続けたものは、実は、彼がいくら頑張っても得られない「育ちの良さ」「家柄」「名声のあるファミリー」「温かい育ちの良い家族」ではなかったかという悲しい結論にたどりつくのです。

 

最後の場面は圧巻です。

 

私、TAXMANIA55は原作や映画の最後の場面を思い出すと、本当に何度でも、何度でも涙が流れます。

 

ギャツビーの葬式にニック以外のに唯一現れるのは彼の父親、しかもファミリー・ネームはアイルランド系のギャッツであることが判明します。

 

ギャツビーはファミリー・ネームさえも偽っていたのです。

 

ギャツビーの父親は、自分がアイルランド🇮🇪からの移民であり肉体労働者であることを淡々と語ります。

 

そして、ギャツビーの遺品整理の中で、ギャツビーが残したメモ書きがみつかり、本の読者や映画を観る者の涙を誘います。

 

ギャツビーが残した手帳には、発音の矯正、姿勢、振る舞いの練習、毎日少しずつ貯金すること、毎周5ドルずつ、いや、3ドル等シンプルで真面目な人生哲学が語られ、最後に「(生んで育ててくれた)両親に優しく」とあるのです。