広島の黄金山、UFO飛来の衝撃(内容を精査して再掲)

 

忘れもしません。小学校6年生のときの出来事です。

 

私、TAXMANIA55の人生を変えたと言っても良い事件です。

 

6月か7月だったと記憶していますが、比治山小学校の教室の窓の外をぼんやりと眺めていたTAXMANIA55は、広島の黄金山を飛来するUFOを目撃してしまったのでした。

 

「目撃してしてしまった」と書いたのは、UFOの目撃事件とは違う意味で、大きな、大きな事件になってしまったからです。

 

5、6秒の出来事でしたが、お椀を逆さにした形のUFOが左から右に移動し、最後は黄金山の裏側に隠れていきました。

 

最後、隠れる瞬間にUFOは裏側を見せたのですが、円形の裏側には4つの黒色の菱形のようなマークがありました。

 

その4つのマークが模様だったのか窓だったのかは分かりません。

 

同級生は、皆、飛行機じゃないか?鳥じゃないか?と言いましたが、黄金山の塔よりもはるかに大きくて、とても見間違えるようなものではありません。

 

TAXMANIA55は、一緒に観た山﨑君と粟元君と一緒に音楽の授業中に大騒ぎをしてしまい、それが大問題になりました。

 

そして、優等生だった粟元君は担任の満井に厳しく叱責され、証言を撤回してしまったのです。

 

当初、粟元君は、「クルクル回っていた」「銀色じゃない、灰色だった。」と興奮して喋っていたのにも関わらずです。

 

山崎君の話はどんどん変わってしまい、嘘つきのレッテルを貼られて、孤立したTAXMANIA55は、一緒に嘘つきのレッテルを貼られて、卒業まで辛い、辛い日々を過ごすことになりました。

 

担任教師に無視され続けるという体験は忘れられるものではありません。

 

TAXMANIA55はそれ以来、学校、教師を信用しなくなりました。

 

そして、世間一般の常識をも疑うようになったのです。

 

父親の対応にも強いショックを受けました。真面目に話を聞かないばかりでなく、ヘラヘラと笑いながら、親戚に「こいつはUFOを見たらしいよ。」と話しているのを聞いてしまい、「絶対にこいつは許せない」と強く思ったのを今でも覚えています。

 

そして、「いかに証拠が大事か」を思い知らされて、いつもそれを考えるようになりました。特に何度も、何度も考えたのは、「あのとき、どう説明していれば、ほんの少数の人にも信用してもらえたのか?」ということでした。

 

3人で目撃したのですから、直後にスケッチを描いてUFOが左から右へ飛んだ方向、UFOが隠れた場所等を記せば、写真等の直接の証拠がないにしても、粟元君が担任の満井に恫喝されて証言を撤回したり、山崎君が大嘘を付くこともなかったでしょう。

 

介良UFO捕獲事件でも、甲府宇宙人遭遇事件でも、友人や本人達が書いた詳細なスケッチが、目撃証言者の嘘や狂言を逆に証明することになったのです。