犠飛王、興津立雄、そして、ライアン・P・マクブルーム(Ryan P. McBroom)

 

2023年4月16日(日)、ライアン・P・マクブルーム(Ryan P. McBroom)が2つの犠牲フライでお立ち台に立った。

 

マックちゃんは今年は既に犠飛合計が4、日本記録15の更新も夢ではない。

 

1試合最多犠飛は3、なんと、野村謙二郎も記録している。

 

豊田泰光(西鉄)1960年9月17日、西鉄13-5阪急

野村謙二郎(広島)1996年6月30日、広島8−7巨人

 

そして、ヤクルトを3タテ、歴史的な逆転勝利で7−5、今年の広島カープは行けるかもしれない。

 

広島カープに在籍した興津立雄(おきつ たつお)は静岡商業高校、専修大学の出身で、当時としては珍しい大型(181cm 83kg)の三塁手として東都の長嶋茂雄と入団時には騒がれた。

 

 

しかしながら、腰の故障もあって残念ながら大成しなかった。その興津立雄が1963年に作った犠牲フライ10の記録は、長嶋茂雄と並び称された読売ジャイアンツの大打者、王貞治に1978年、犠牲フライ11に塗り替ええらるまで、セ・リーグ記録として15年間燦然と輝いていた(日本記録は1970年の大杉勝男(東映)の15)。

http://bis.npb.or.jp/history/ssb_sf.html

当時の広島カープは、2010年代と同じように万年Bクラスの弱小チームであり、1975年に初優勝するまではペナントレースはもちろんのこと、個人タイトル、個人記録にもほとんど縁がなかった。

 

その中で、興津立雄の犠牲フライを打ち上げる技術は異彩をはなっていて、興津立雄の犠牲フライ10のセ・リーグ記録は、広島カープファンの数少ない誇れる個人記録であったと言って良いだろう。

2010年代の広島カープ、ノーアウト、ワンアウトで三塁にランナーがいても、栗原、広瀬は平気で凡フライを打ち上げて1点も追加できないようなケースが目立った。

 

技術的に習得が難しいのかもしれないけれど、犠牲フライを前提とした、興津立雄のような力の抜けた軽いスイングで外野の深い位置にフライを放ち、確実に1点を取りに行って欲しいものである。

P.S.

世界の王貞治の犠牲フライ11のセ・リーグ記録を1991年に13年ぶりに塗り替えたのは、

 

何と、チャンスに三振と併殺打ばかり繰り返していた読売ジャイアンツ史上最悪・最低の4番打者、原辰徳であった。

 

原辰徳が記録を犠牲フライ12塗り替えたためか、興津立雄の15年間のセリーグ記録である犠牲フライ10の記録は本当に色あせて見えたのであった。

ホンマに、ハラタツノリ!