IBS魂! スーパーフリーエージェントで「格差社会」「仕事消失」時代を生き残れ! -7ページ目
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みなさんは
「人は社会的な生き物である!」
という言葉を
聞いたことがありますか。
どれだけ孤独を愛そうが、
どれだけ孤高に生きようが、
人として生まれた限りは
他人との関わりを完全に断ち切って
生きることはできません。
好むと好まざるとに関わらず
自分以外の誰かと接点を持ちながら
日々生きることになります。
その中で、自分にとって
とっつきやすいタイプの人とか、
そうでない人とか…。
とにかくいろんな人が目の前に現れて
くると思います。
実は熟練の編集者はこうした
人づき合いの得手、不得手ですら、
培ってきた編集的発想で
軽やかに飛び越えてしまう
術を身につけていたりします。
今日は、編集のプロが人との関わりに
活かしている
『人間観察学』を
みなさんと共有したいと思います。
何かしら皆さんの参考になれば幸いです。
編集者的視点から人を分類すると、
以下の3パターンになります。
① 文脈型(=「物語」派)
② 構造型(=「事典」派)
③ 点滅型(=「雑誌」派)①の文脈型の人というのは、
モノゴトの順序、つまりあとさきを
とにかく重視する人のことです。要するに、このタイプの人は
モノゴトを「物語」風にして
説明しないと気が済まないわけです。
たとえば、
「私は……」
で始まって、
「このように……」
ときて
「考える」のか「考えない」のかが、
物語の途中ではわからない!
そこで、
「で、結局、結論はどうなんですか?」
などと話しの腰を折ろうものなら
もう気を悪くしてしまう。
あるいは途中を飛ばされたことで
その後の話が続かなくなってしまう。
こうした人と話をする時には、
ひたすら忍耐あるのみで、行く先の
わからない旅の同行者になるしか
ないわけです。
次に②の構造型の人は、
モノゴト相互の関係、位置付けを
重視する人です。先の文脈型の発想が
「線」的であるとすれば、
この構造型の人は
「面」的発想をします。
別名「事典」派のタイプ。
たとえば、ある地点まで道案内を
してもらうと、文脈型の人が道順で
説明することに対して、
構造型は所番地や周囲の目印との
位置関係で説明します。
構造型の人には電話で道順を説明しても
わかってもらえない可能性が高いので、
FAXなどで地図を送る方が得策です。
最後の③の点滅型の人、すなわち
「雑誌」派の人は、いきなり
「あの角のタバコ屋の真向かい」式の
説明が多くなります。道順も地図もなし。いきなり「点」としての論点が
突発してきます。
こういうタイプの人は、
打ち合わせをしていても2、3分おきに
電話が入ったり、
メールを返したりと大忙しです。
その分、話が散漫で打ち合わせが
長引くかというとそんなこともない。
文脈型や構造型の人が
1時間かかるとしたら、15分くらいで
済ませて後は雑談をしていたりします。
さて、あなたの周囲の人たちは
どんなタイプに分類されるでしょうか?
人間観察学にじっくり取り組んでみると、
人に対する得手不得手や、
好悪という感情を超えた
人間観察の面白さを
楽しめるようになってくると思いますよ。
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突然ですが、あなたは以下の文字群を
読むことができますか?
出安千感山中
前価客謝海華
迅美万感珍肴
速味来激味昌
どうですか? 読めましたか?
ちなみに私はさっぱりでした。
「漢文のようだがどうなんだろう?」
ぼちぼち読めたかもしれないですね。
横に読むと意味不明になります。
しかし、縦に読むとどうですか?
はい、そうですね。
出前迅速
安価美味
千客万来
感謝感激
山海珍味
中華有昌
となります。
これは、かの才人・永六輔が行きつけの
中華料理屋の壁に書けた書なんです。
で、こんな具合に、
最初読めなかったものが、
何かのキッカケで
読めるようになることを
『ああそうか体験』
(Aha-Experience)と言います。
これは心理学用語の一つだそうで、
さんざん考えてわからなかった問題が、
ちょっとした発想や視点の転換で一挙に
「ああそうか!」と解けることです。
他にも、たとえば、クイズやパズルの
答えを教えてもらった時、幾何の問題が
一本の補助線を思いつくことで
解けた時などに味わう知的カタルシスが
この
『ああそうか体験』の正体なんです。
頭から読めないと決めてかかった漢詩の
ようなものが、実際には小学生でも
読める漢字の集まりであるとわかった時、
初めて私たちには、この文字群の実体が
目に入ってくるんです。
要するに
『ああそうか体験』とは
「知らない」と思っていたことが、
「知ってる」ものの組み合わせに
過ぎないことが分かった瞬間に
やってくるんです。
そして、編集という仕事は、この
『ああそうか体験』を
提供する仕事でもあるんです
つまり、
読者が「知らない」ことを
知る興奮を、
「知ってる」ものの組み合わせという
安心と共に提供するのが、名編集だと
私は師匠から教わりました。
しかし、まだまだ
こうした快感を常に提供できる域には
至っていません。
ブログやSNS、あるいは
これから訪れる電子書籍出版の
時代において、
こうした快感を提供できるようになる
こと。
これが今後も変わらぬ私の目標で
あり続けることは間違いありません。
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「本は編集者になったつもりで
読むのが一番面白い!
ついでに言えば、
映画は映画監督になったつもりで、
芝居は演出家になったつもりで
観るのが面白い!」
これは私の編集の師匠の言葉です。
まぁ、言われなくても、
ディレクター気分でテレビを眺めたり、
プロデューサー気分でアイドルを
論評する楽しさは教えられなくても
知ってましたが。
現に世の中には、テレビを見ながら
ブツブツブツブツと、あーでもなく
こーでもなく自分の意見を
のたまわっている人は実に多いですね。
野球観戦なんかその最たるものでしょう。
たいていの人が監督になった気分で
試合を観ている。
テレビに向かって指図したり、
罵声を浴びせたりするのは
決して珍しい光景ではありません。
野球に限らず、監督業というのは、
多様な条件の中で多様な人材や素材を
どう配分して活用するかが
問われる仕事です。
冷徹なまでに管理的な部分と、
創造的な放任主義の部分という
矛盾に満ちた状況の中で
人事的な『編集力』を
発揮する。
もちろん、本物の監督と
テレビの前のエセ監督の違いは、
この人事的な『編集力』に対する
明確な責任の有無に他なりません。
しかし、これが私たちが関わっている
ネットという環境になると
もう無責任ではいられません。
ブログやメルマガに始まり、SNSから
音声や動画まで、今や
ほとんどのコンテンツは自分の手で
作られています。
つまり、
最初から鑑賞者の域を超えて、
作る側の立場でコンテンツを
眺める環境になってるんです。
いわば野球などのテレビ観戦における
『一億総批評家現象』は、
ネット上では
『一億総制作者現象』になっている。
最初から、作る側、演じる側で
コンテンツを眺めるのが
ネットでは当たり前です。
「ネットメディアは制作者の立場で
眺めるのが一番面白い!」
『一億総制作者』の時代に喜ばれる
コンテンツ作りに、
今日もいそしむ日々が続きます。
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