どの家庭にも沢山のドラマがあると思う。
おとーさんたちには少しだけ理解してもらえないことの多さも、聞くとどの家庭にもあることだって知った。
うちのダンナさんが特別なことではなく
なので少しホッ

おとーさんに比べるとおかーさんと子どもの関わりは特別でした。
自分ができること
それが普通のベースで少し違う我が子を理解できない父。父達みんながそーではないと思うけど少なからず、昨日話を聞いた母達は同じようにそこに悩んでた
うちもそうかな~

たぁくんが、優秀成績で表彰された

すごい
3年間、頑張りました

心では素直にそう感じてるはずなのに、こっそりと「オレは3年間1位だったけど、ね

ムカつくなぁ

そりゃあ、特待生で入ったんだから!
授業料免除なんだから当たり前でしょ。
そこは、お仕事のようなものだ。
成績が落ちたら困るんだもん。
もちろんね…いろんなことを諦め、きっと我慢した高校時代だったよね。
でもそのおかげで、授業料免除というおまけがついてきたんだよね?
それを、そんな約束もないたぁくんがそれに近いことをしたんだもん。
力いっぱい褒めてもいいじゃん!
オレができることをみんなができることじゃない。
反対にみんなできないことを、オレはできたんだって自分を褒めてもいいともうんだ。
あたしはスゴいことをしたなぁて感動するよ。
いとも簡単に偉業を成し遂げた顔してるけど、約束したもんね…あの日。
布団の中で声を殺して泣いていたあの日。
故障との闘いで、自分で限界を思い知らされたあの日。
大好きなサッカーはたぁくんにとっての空気と同じ
それを諦める決意をした。
それは、たぁくんが呼吸を止めること同じこと。
つまりは死んでしまうこと。
何のためにここにいるんだろう。
一度は手にした黄色のユニフォームを返すときに、彼はいったいどんな感情を持ったことだろう。
入部届を出すことができなかった苦しさ。
それでも、たぁくんのそばにはサッカー部の仲間がいた。
それは同時に3年間「一緒にいるけど、はいきれずにいる仲間」との時間を過ごすことだった
それは、あたしも同じこと。
母達も変わらずに、あたしを受け入れてくれたけど、一種の疎外感を感じずにはいられなかった。
卒業式の時
サッカー部の母達の中に一緒にいた
当たり前のように、席を確保してくれた。
卑屈になっていた自分を恥じた。
仲間の端っこでなく、真ん中に座らせてくれた。
あたしの姿を探して待っていてくれた。
ありがとう
3年間
ありがとう

たぁくんの友だちも、あたしを他のおかーさんたちと同様に接してくれたこと。
たぁくんが繋いでくれた。
この学校でよかった。
1年前につばさを旅立つちゃあくんのときと同じ感情
楽しかったなぁ~



