龍樹(たつき)から龍樹(リュジュ)へ  その2 | 龍樹のブログ

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こんばんは。

毎日暑いですねあせる

前回の入院からの続きです。



 怪我の内容は右脚大腿骨骨折、半月板三分の一粉砕、膝の靭帯断絶叫びあとから聞いた話では運転席は血溜まりで保険会社の方も絶句する程の状態だったそうです汗父が『記憶にないのなら見せない方が良い』と判断して退院までに全てを片付けてくれていました。

 入院中は自分の足で歩くことはできませんでしたが

    ・朝、昼、夜と3食きちんと食べることが出来る。

    ・夜10時頃には寝ることが出来る。

    ・大好きな読書をする時間や趣味の編み物をする時間がある。

 当たり前のことだけれど入院する前の自分生活ではあり得ないことでした。


だって、今までの私の生活はお給料それなりに頂いていましたが

 ゆっくりと食事をする時間が持てず、朝はコーヒーか野菜ジュースを1杯、昼は営業の途中で簡単に済ませ、夜は仕事関係の方と一緒か遅くまでやっているスーパーでお惣菜を買って済ませるか、食べずに寝落ちしてしまう生活でしたからしょぼん


体は不自由でしたが車椅子を上手に乗りこなし、楽しい3か月の入院生活でした。

入院中、霊が視えていたら怖かったかもにひひ汗


  社会復帰は年が明けて1月。まだ、繁忙期に入っていなかったのと病み上がり?と言うことで月曜日から金曜日の9時から17時まで。新年のご挨拶回り&入院の話で外回りを少しと、年末の資料の整理をしながら事務所にいることが多かった。その中で思うことは

          ここに私がいるのは正しいこと?

              心と魂の答えはNO!

きちんとけじめをつけなきゃ!とおもいながらもまた、徐々に忙しい生活に戻りだした時に事務の女性たちに『お茶当番や掃除当番もしないし、毎日遊び歩いている』と言われ、商品の発注伝票を出しても処理されていな!などの嫌がらせを受け、あっ、もう無理だ!貴方たちの給料を出すための売上をどんなに出しても遊び歩いている?確かに外商さんとのお付き合いで洋服を買っていた。自分のお給料の中から。買っても一人暮らしだったので事務所に届けて貰っていたけれど…・。

お茶&掃除当番は悔しいから辞める日まで朝直行で取引先に行きたくっても始発に乗って会社に行き済ませて張り紙をして出かけました。とっても悔しかったからむっ

心と魂の答えがNO!ならば体裁を考えても無理なのね汗繁忙期ど真ん中でやめました。

この会社の繁忙期が終わった頃、私の営業をする上でのお手本で尊敬する上司だった方から電話を頂き『すのちゃんの仇は取ったよ!あいつら5人ですのちゃん一人分仕事も出来なかったから』と言われて頑張っていて良かったな、この人に認めて貰って、何だかスッキリしました。


この後、もう一つアパレル大手に就職し、1年半後退職、結婚、出産。

そして

また霊が視える、聞こえる、感じる生活に。

事故の前と違ったのは霊と会話が出来るようになっただけではなく、神様のお言葉聞く、如来さま、観音さま、明王さまをはじめとする仏様と会話をする。臨死体験の時に封じられたものが一気に解放されるその時を迎えました。


続きはその3で。