久しぶりに、〝しこたま飲んだ後に終電で帰る〟羽目になった。

どうにも気に入らない客が、いつものバーにやってきたから。

「アレと横並びで飲む気はしないから、今日は帰るわ」

マスターにそう告げて店を出ると、外は大雨。

そういえば天気予報では、夜半にゲリラ豪雨って言ってた。

 

千鳥足でなんとか地下鉄の駅に辿り着き、

〝方面最終電車です〟のアナウンスを聞きながら、乗り込む。

スマホで検索すると、これで乗り継いでも、

自宅の最寄りまでは辿り着かないことに気づく。

仕方ない。最寄りの3つ手前の最終到達駅から、タクシーで帰ろう。

 

最終到達駅に降り立ち、タクシー乗り場へと急ぐ。

乗り場に着くと、待ち人ひとりおらず、タクシーもなく、

タクシー乗り場にかかるプラスチックの屋根に、大雨が叩きつけられて

コージー・パウエルのバスドラばりのパワフルな音を立てている。

こりゃダメだ。いくら待ってもタクシーは来ない。

そう思って、タクシーアプリを開くが、「付近に車が少ない」の

表示ばかりが続いて、一向に捕まらない。

 

仕方がないので、歩いて15分ほどの国道まで出てみることにする。

国道沿いのファミレスで、もう一度アプリを開いてみよう。

そうやって歩き始めたはいいが、100メートルほど歩いたところで

早くも後悔が始まる。そりゃそうだよ。

コージー・パウエルのバスドラの大雨だぜ。

1分もしないうちに、ずぶ濡れになるに決まってる。傘も無いんだから。

 

あまりの濡れ鼠な自分を嘆きながら、コンビニの軒下に緊急避難。

念の為、ここでもアプリを開いてみる。すると、検索後5秒で僥倖が。

〝配車できました〟の文字の後に、3分後の到着予定時間の表示。

思わずスマホを抱き締めた。

最近、気付かぬうちに何か善行をしたのか? オレ。

 

すぐにやってきたタクシーの運転手は、ずぶ濡れのこちらを見て一瞬、

怪訝な顔をしたが、すぐに笑顔になり、

「コレ使ってよ。風邪ひいちゃうよ」と、タオルを放り投げてくれた。

行き先を告げると、確認をしながらこう言ってくれる。

「了解。エアコン、送風にしとくね。

    車内がちょっと蒸してるから、いいでしょ? 服乾くし」

タオルは少し湿っていたし、随分フランクなおっさんだなとは思ったが、

その、まるでツレのようなホスピタリティが、やけに沁みた。

なんだか気持ちが温んで、発車後2分で眠りに落ちていた。

 

その眠りの中で見た夢は、中2の林間学校の思い出だったんだと思う。

雨の中を、学校指定のジャージに身を包んで、

ひたすらに歩を進めている子供の集団。一様に疲れ切っていて、

口を開いているのは、大声をあげて群れを先導している

教師らしき大人だけだ。

〝今すぐ横になりたい〟。そう思っている自分がいる。

〝オレたちは何故、こんな条件で歩かされているんだ?〟

そう考え続けている自分がいる。

 

中2の林間学校は、本当にロクな思い出が無い。

楽しい思い出が無さすぎて逆に、今でも鮮明に覚えている。

林間学校の班決めのときから、悪夢は始まっていた。

6人ひとグループの班を、気の合う仲間と早々に決定し、

ワイワイと展望を話し合っていたところに、

担任のナリサワ先生がオレに声をかけてきたんだ。

「ちょっと来い」って。

 

「悪いがオマエは、この班に入ってくれ。で、班長やってくれ」

 

班のメンバーのリストを見て、疑問しか湧かなかった。

 

「な、なんでですか?」

 

リストのメンバーの5人は、一人を除いて、

ほとんど口もきいたことのないクラスメートだったから。

 

「理由は訊くな。頼む」

 

学校で一番慕っていた先生だった。教師という人種が嫌いで、

いつも反発していたオレが唯一、心を割って話ができた大人だった。

その人が「頼む」と言っている。受け入れるしかない。

 

気の合う友人たちと班が分かれても、

同じ建物(宿舎)の中にいるんだから、まあ、大丈夫だろう。

そんな安易な考えは、現地に着いてすぐに打ち砕かれた.

42人のクラスは、6人ずつ男子4班、女子3班に分かれていたが、

大きなバンガローの収容人数の関係で、男女それぞれ一班が、

6人収容の〝森の中の小バンガロー〟に振り分けられていた。

そしてそのクジは、なぜか我が班に回ってきていたのだ……。

 

食事中のくだらないおしゃべり。

寝る前の恋バナ、枕投げ、密かな女子たちとの邂逅。

2日目に予定されていた「山歩き」の励まし合い。

そんな〝林間学校で楽しみにしていたこと〟の全てが、

開催地だった清里の森に到着した瞬間、霧散した。

 

それでも、班の仲間になったクラスメートたちは、いいヤツらだった。

それまで話したことはなかったけれど、森のバンガローでは

不本意な班決めをされたオレを気遣い、一生懸命話しかけてくれた。

夕食後にはだいぶ打ち解けて、バカ話をしながら、

一人ずつ眠りに落ちていった。

 

翌日の2日目は、一日かけての

「山歩きオリエンテーリング」が予定されていた。だが

早朝から、森のバンガローの屋根を大粒の雨が叩き、

盛大なドラムソロを奏でていた。

〝こりゃ、中止だな。体育館で何かするんだろ〟

と思いながら、朝食の会場に足を運ぶと、

入り口で教師たちが何かを生徒に配っている。受け取ってみると…

ペラッペラのビニール雨ガッパだった。

 

その日の山歩きオリエンテーリングは、本当に最低だった。

雨ガッパは歩き始めてものの5分で水を通し始めるし、

山道のほとんどは舗装されていなかったので

泥水が靴に入り放題だったし、

空は分厚い雲が覆っていて、地元の人がびっくりするほど

気温は低く、寒かった。

当然のことながら、昼食後は体調を崩すものが続出した。

オリエンテーリングなんてやっている状況ではなくなり、

数百人が長い列を作って、ポイントを歩き回るだけになったが、

あちらこちらで座り込む生徒が続出し、一向に前に進まなくなった。

その間も、激しい雨は降り続いていた。

そのとき、思ったよ。

〝オレたちは何故、こんな条件で歩かされているんだ?〟って。

 

「タツヤくん、大丈夫?」

そのとき、声をかけてきてくれたのは、森のバンガローの

仲間のひとり。文化部で、華奢な体躯で、引っ込み思案な

彼が、自分も寒さでブルブル震えながら、こちらを気遣ってくれた。

「全然、平気!」と、強がって答えながら、

この林間学校の全てを呪い始めていた。

 

 

 

この16年後、30歳になった時に開かれた同窓会で、

ナリサワ先生に再会した。

 

「先生、林間学校のとき、なんでオレを

   あの班の班長にしたんですか?」

 

そんなこと覚えちゃいないだろうと思いつつ、訊いてみた。

 

「オマエなら、アイツらと過ごせるって思ったんだろうな。

   ……悪かったな」

 

と、予想外の答えが返ってきた。

何故かほんのりと、目頭が熱くなった。