東海の港町への取材旅。

富士のお山が正面に見える駅のプラットホームに

降り立ったのは深い午後の日中。

早速、予約してあったホテルまで歩き始める。

 

駅から左に折れ、港湾の汽水域へ向かう川沿いを進む。

西へ落ち始めている太陽から、斜めに降り注いでいる

光線へと向かっていく歩き道は温かく、

川からの空気は適度に湿り気を含んでいて心地よく。

思わず頭の中で唄ってしまう。

ホテルはリバーサイド 水辺のリバーサイド ♪

陽水のが歌ってくれている歌の通り、

予約してあるホテルはリバーサイド。港まで徒歩15分。

 

チェックインして、予約してあった

〝富士山ビュー〟のダブルの部屋に入ると、すぐにカーテンを全開にする。

目の前に広がるのは、富士の大パノラマ…ではなかった。

4時の方向まで顔を傾けなければ富士は見えなかった。

代わりに目を奪われたのは、港の夕景だ。

かかる雲がバリエーションをつけた、絵描きにも出せない夕日の色合いと、

雨雲の上の、複雑な濃淡の白が踊る、筆描きのような雲。

窓際の椅子に腰掛け、ボォっとそれを眺めているうち、転寝していた。

昨晩の、朝までの酒が呼んだに違いない転寝から目覚めたのは、

辺りが暗くなり始めた夕刻。

目を奪われた窓外の夕景もそこにはなく、軽い寒さに震えた。

ベッドサイドの時計を見れば、この地の近くに住む

三十年来の、この地に移り住んだ酒飲み友達との約束の時間まで1時間。

急ぎシャワーを浴び、支度を整える。

 

『この街は。ローカルなスナックがいっぱいあるんだよ。

 楽しみにしててな』

 

そんなことを言っていたくせに長い友人は、

静岡の港町なのに何故か〝へぎそば居酒屋〟に自分を誘い、

彼が住む街にある、翌日取材予定の〝日本一の大吊橋〟の話を終えると、

そそくさと電車で帰って行った。

 

「明日、朝早いんだよ、ゴルフでさ。悪いな」

 

近年、一番心がささくれ立つ「飲み会で言われがちな言葉」。

〝知らねえよ。じゃ、出発の時間まで飲んでろよ〟

という言葉は心の中にしまっておく。

 

またいつものように、中途半端な時間に、野に放り出された。

コンビニで酒を買って、部屋で一人飲み…という、

せっかく旅に来てるのに一番残念な行動は、端っから頭にない。

靄がかった頭の中をスッキリさせるべく、

タバコを買ったコンビニで訊いた〝地元スナック街〟へと足を運ぶ。

 

時間は20:00ちょっと前。

スナック通りの真ん中あたりで店前の掃除をしていた、

四十がらみの女性に声をかける。

 

「もう、やってる?」

 

黒木華をだいぶ水商売寄りにしたような、

きっとスッピンは和風美人なママさんは、

笑いながらこう答えた。

 

「まだ開けてないけど…まぁいいや。入って」

 

 

こちらが入店して20分後ぐらいに入ってきた、

たぶん自分と同世代・五十がらみであろう男は、

こちらに厳しい視線をおくりながら、

スナック界隈では「ママの彼氏の定番席」と言われる、

カウンターの一番奥の端に陣取った。

こちらとの距離はスツール3つ分。約2メートル半。

無言でママは男に、氷とグラス、角ハイボールの500缶をそっと出す。

そして、こちらの目の前に戻ってくると、不意に言った。

 

「お客さん、ハウスボトル飲んでるけど、

 角ハイボールの方がいいんじゃない?

 ホントは常連さんにしかやってないサービスだけど、

 缶の角ハイ飲み放題にしてあげよっか?

 こっちも飲み物作る手間省けるし、そうしようよ」

 

「いいね!」

 

飲み放題の角ハイボール500缶は〝濃いめ(9%)〟だったので、

2時間ほど飲んで、5缶ほど空けた頃には、だいぶ酔っていた。

気がつけば、カウンターを横移動し、〝ママの彼氏〟の横に座り、

彼氏の肩に手を掛けながら、ママと彼氏を冷やかしている自分がいた。

2時間の間に、他に客は入ってこなかったので、

店はこちらと彼氏の貸切状態。ママを入れて三人で、歌い、喋り、踊った。

 

「ウジウジしてんじゃねえよ、一郎(仮名・彼氏のこと)ちゃん!

 毎日来てんだろ? ここへ飲みに。

 でも、一つ教えてやろっか? そこ、スナック界隈じゃ

 他の客から一番嫌われる席だぞ。

 〝ママの男アピール〟してんだろ? やめとけやめとけ。

 ママも迷惑してんぞ!」

 

「うるせえな! わかってんだよ、んなこたぁ。

 でも、気を許すとここに座ろうとする常連が山ほどいるんだよ。

 しょうがねえじゃねえか!」

 

「よく言ってくれたよお客さん! まあ、私とあなたの間柄だから、

 そこに陣取るのはいいけどさ。いつも黙ってて、

 私が他の客と喋ってると睨んでさぁ。

 営業妨害なのよ、ハッキリ言って。

 いつも今日ぐらい、喋って、歌って、楽しそうにしててよ!」

 

「……そ、そうなのか?……」

 

スナック好きの人間なら、何度か目にしたことがあるだろう。

そんな、マンガチックな光景に、なんだか気持ちが温んだ。

 

話を聞くと、ママと一郎ちゃんの関係は、おおよそマンガとは縁遠い、

でも、シリアスな映画や小説にはありそうな、不思議なものだった。

二人の出会いは、九州のとある県にある学習塾だったそうだ。

一郎ちゃんは当時教育大学の3年生で、昔、自分が通っていた学習塾で、

チューターのアルバイトをしていたのだという。

ママは当時高校1年生ながら、教育熱心な両親の

「娘を一流の国立に入れたい」という夢を叶えてあげるため、

その学習塾の、一番レベルの高いクラスに通っていたそうだ。

一郎ちゃんは、現在の

〝唐沢寿明を10キロ太らせて、両頬をグーで殴った感じ〟

なルックスが示すように、当時はかなりの美男で、

学生たちにも大人気だったそうだ。

ママも一郎ちゃんのファンだったが、ある日、衝撃の事件が起きる。

ママと同じ高校の3年生で、同じ塾の大学受験コースに通っていた、

誰もが振り返ってしまうような眉目秀麗の女子高生と、

一郎ちゃんが交際していることが、塾内で知れ渡ってしまった。

「デートしている最中に、繁華街で女性の方が補導された」

というニュースが広がるという、好ましくない状況で。

当然、女性の両親は烈火の如く怒り、塾と大学に抗議をしたので、

一郎ちゃんは、塾のバイトは当然クビになり、大学からも厳重注意を受けた。

教育大学なので、大学からの注意勧告は「辞めろ」という脅迫に

近いものだったらしく、結局、数ヶ月後に一郎ちゃんは

自ら退学の道を選んだ。

ママは一郎ちゃんの相手である美人さんとは、幼馴染だったという。

憧れのチューターさんと、大好きな幼馴染のお姉ちゃんとを

いっぺんに失ったようで、当時はだいぶ悲嘆に暮れたらしい。

 

そんな二人が再会するのは、二十数年の時を経たのち。

 

ママの方は、高校2年生の時に、教育熱心だった両親が、

娘の教育方針のすれ違いによる仲違いを起こし、離婚。

ママは母親に引き取られたが、両親の離婚で心のバランスが崩れ、

大学進学の熱意をなくし、高校卒業とともに

母親の実家があるこの街に引っ越し、美容部員や飲食店勤務を経て、

三十代からスナックの世界に飛び込んだ。

 

一郎ちゃんの方は、教育大学を中退した後は簿記の専門学校に入り、

卒業後は教育機材のメーカーに就職。営業と経理を経験したのちに、

大学時代の同級生が興した、個人指導に特化した学習塾チェーンに

転職を果たし、四十代後半で、東海地方の統括責任者となり、

この街に赴任してきた。

 

そんな二人が、6年前にこの町で出会った。

四十路に入りたてで、自分の店を持ったばかりだったママが、

近所付き合いをしている居酒屋で、店の女の子と夕食をとっている時、

一郎ちゃんがフリで来店したのだという。

ママの方はすぐに〝憧れのチューターさん〟だと気づいて、

挙動不審になった。そんなママを見て、同席していた店の女の子が

恐ろしいほどのおせっかいをして、その場を一緒にすることになり、

店にもそのまま連れて行ったのだそうだ。

 

以来、一郎ちゃんは確固たる店の常連になった。

週5で通い始めて、もう6年。

最初は、ママをなかなか思い出せなかった一郎ちゃんだったが、

「顔が本当に好みだった」ので会いに行っているうち、

ある日突然、「悲運の彼女の幼馴染だった可愛い子」を思い出したそうだ。

ママの方は再会以来、会うたびに好きになっていったという。

「アコガレがぶり返しちゃってさぁ…」と、一郎ちゃんを見て微笑む

彼女の顔は綺麗だった。

 

 

とどのつまり、中年の惚気話を聞かされた2時間だったが、

なんだか愉快だった。

 

ちなみに、ママの方はバツイチで11歳になる男の子がいる。

一郎ちゃんの方は、未婚。結婚を考える間もなく仕事をしてきたそうだ。

二人とも「付き合っている」という自覚はあって、

一郎ちゃんは、ママの息子にも会っている。

 

 

実るといいけど、枯れた恋花が。