一度飲み始めたら、朝までトコトン。
そんな、昭和の下北沢あたりにゴロゴロしていた二十代の若者のような飲酒哲学が、
還暦が近づいた現在になっても抜け切らない。
さすがにこの歳になると、それに付き合ってくれる友人はほとんどいなくなったが、
代わりに五十を過ぎてからねんごろになった酒場は、大抵が終夜営業だ。
友人と22時ごろまで楽しく飲んだあと、独りでフラッと顔を出し、
終電が行ってしまった後のカウンターで、マスターや馴染み客を相手に、
心の底からくだらない話をしたり、歌ったり、バトルしたりして時間を過ごす。
そんな、昭和四十年代の新宿ゴールデン街のような飲み方をさせてくれる飲み屋が、
まだまだ、あることはある。
そんな店のひとつで、飲み始めてから90分ほど経った頃、
年齢も性別もバラバラな四人組が店に入ってきた。
もっとも年長の、そこそこに値の張りそうなスーツと靴を身に纏った中年男性が、
フラフラとした足取りでスツールに腰掛けると、横柄な口調でマスターに言った。
「四人、いいよね? 大丈夫だよね?」
マスターは50代半ば。その男性はおそらく40代後半。
目上の男性に対する口のきき方じゃねえな、とは思ったが、
まあこの手の人間はよくいるので、気にしないことにした。
その他三名は、立ち尽くしている。
横にキャパ十人のカウンターだけの飲み屋なので、
自分はとりあえずコースターとグラスを手に、店の一番奥までズレた。
そうしなきゃ四人は座れそうにないから。
「あ、すいませんねえ。ありがとうございます」
丁寧に礼を述べてくる中年男性。他の三人は部下なのだろう。
男性の声に続いて軽く会釈をしてくる。四人の構成は、
上司1 40代後半男性。
上司2 50代前半男性。
部下1 20代後半女性。
部下2 20代半ば男性。
年齢はあくまでも推定。上司2は、もしかしたら外部のフリーランサー。
そんな、どことなくチグハグな組み合わせの男女が入店してきたのは、23:30ごろ。
ちょっと家が遠い人なら、間も無く終電を迎える時間帯だ。
四人はそこから、20分に一度程度の酒のおかわりを個々に繰り返しながら、
会社の会議室かっwと思うほどの仕事の激論を交わしていた。
聞きたくなくても耳に入ってくる激論のほとんどは、
部下の二人が上司1に現場の報告をし、上司1がそれに
「オレも、いまお前たちが経験していることは同じ頃に経験した」
と定形文で答え、その後に
「でもオレは自分なりの考えでこう対応した(から今の偉いオレがいる)」
という自慢話を付け加える。その自慢話に上司2(確定で外部下請け)が
「ああ、あの頃の〇〇さんはすごかったっすよねぇ」
という定形ヨイショで後押しをする……というスキームの繰り返し。
繰り返されるたび、上司1の鼻の穴は広がり、部下二人の目は徐々に死んでいく。
そんな、地獄のような「深夜の会社飲み会」が、すぐ横で繰り広げられている。
正直、面食らった。
〝ここに来る前の居酒屋で、何時間もやったろ? それ〟
〝てか、会社でやれ!〟
〝会社が無理なら、カラオケボックスかなんか、個室でやれ〟
というツッコミが何度も頭の中を駆け巡り、何度か口をつきそうになったが、
そのたびにマスターがアイコンタクトを送ってくる。
〝絶対言っちゃダメ、それ〟
という無言の合図……。
そのスキームが終わりを告げたのは、24:40ごろのことだった。
ほぼ死んだ魚の目になっている部下2が、
「課長、そろそろ終電が無くなりそうなので…」
と言い出したのだ。
〝今頃?w もうとっくにねえだろ〟と思ったこちらの思案を汲み取るように、
上司1が食い気味に言い放つ。
「こんな機会、滅多にねえんだからもうちょい付き合えよ。
会社でタクシー代精算して良いから」
部下2の答えは当然、「はい……」だった。
部下1の方に目をやると、数分前までは死にきっていた瞳が生き返り、
部下2に対して怒りの炎に満ちた視線を送っている。
「んじゃあ、仕事の話ばっかりでもつまらねえから、
なんか面白い話しようか? ここからは」
上司1がとんでもないことを言い出す。
「あ、いつもの鉄板ネタっすか? 〇〇さんの話はエグいからなぁ」
上司2(確定で下請け)がサバンナ高橋バリの太鼓持ちっぷりを見せる。
「××ちゃん(部下1)はさあ、学生時代、どの程度遊んでたの?」
ゴリゴリのセクハラな問いかけから始まった上司1の鉄板ネタは、
文字にするのも悍ましいほど下品で、くだらないエロ武勇伝だった。
〝学生時代はサーフィン小屋で、友達四人の彼女を取っ替え引っ替え寝取った〟
〝30代までは、当たり前にハ⚪︎撮りしてた。現在もコレクションがある〟
〝現在は3つの別々のスナックに、20〜40代までのセ×レがいる〟
……これらの話を全て話し終わるのに100分かかった。
気づけば時刻は26:00過ぎ。
てか、なに聞いちゃってんだよ、オレもマスターも。
ふと我に返って、上司1以外のメンバーを見渡すと……
両腕を前に投げ出しカウンターで垂涎しながら熟睡(上司2)
片手にロックグラスを持ちながら、カラオケリモコンの「履歴」を送り続ける(部下2)
菩薩の目をして酉の市の熊手を見つめながら、極薄の水割りをちびちび(部下1)
という状態。 まさにカオス。
26:30、ついに待ちに待った一言が上司1から繰り出される。
「そろそろ行くか。じゃ、マスター、お勘定」
とっくに用意してあった勘定書を、マスターがカウンターに無言ですっと出す。
¥28,000
「結構いっちゃったなぁ……じゃ、おれ、1万円出すわ。
あとよろしくーーーー」
へ? 全部出さねえの?(驚)
おそらく、上司1以外の店内にいた人間の総意。
いやぁ、ジャングルっすね。人間社会は。