一年ちょっと前のこと。

普段使っていないiCloudのアドレスに、

見知らぬアドレスからメールが入っていた。

受信日時は、それよりさらに一年前。

メールアプリ自体をPowerbookのメニューバーから外してあったので、

久しぶりにストレージ整理をしたその時まで、気がつかなかった。

 

「どうしていますか? 社長はお元気ですか?」

 

メール本文は、これだけ。

ただ、末尾に書いてあった名前だけは、忘れようもなかった。

 

〝リウ・ジー〟

 

自分の大恩人である編プロの社長が、90〜00年代の歌舞伎町で

可愛がっていた上海人の青年(当時)。確か中国に帰ってからは、

日本で稼いだお金で製薬会社を興し、それが国に買われて、

大成功を収めたと聞いていた。

日本にいた頃の彼は、当時すごい勢いで歌舞伎町に拡大していた

中国系のアウトロー集団と、適度に距離を保ちながら、

飲食店を数店舗経営していた。

彼が経営していた店には、社長に幾度も連れていかれ、

その度に、滅多に口にできない年代物の紹興酒や、

とびきり美味いトンポーローを詰めた肉パイをご馳走になった。

てっぺん過ぎにその店に連れていかれると、店内には

新宿はおろか東京中の中国人社会でその名を知られる、その筋の顔役がいたり、

ICPOで指名手配を食らっている暴れ者がいたり、

のちにハリウッドに進出した香港映画のスターがいたりして、

恐ろしくもドキドキしたりしたものだ。

 

その彼が上海に帰ったのは、たしか2000年代初頭。

それ以来、全く没交渉だった。

おそらく、社長とはメールやSNSで連絡を取っていたのだろう。

社長から、数年前までは使っていた、こちらの

iCloudのアドレスを聞いていたのかもしれない。

 

「ご無沙汰しています。お元気ですか?

 社長とは、連絡が取れないでいます。

 少し前、〝社長が亡くなった〟という話が、

 私のところにも回ってきたのですが、

 結局、手を尽くして調べても、

 死亡の確認が取れませんでした。

 なので私としては、まだどこかで

 生きていると思っています」

 

と返事を返しておくと、数ヶ月後に返事があった。

 

「こちらは一昨年まで、

 中国のアプリで連絡を取っていました。

 ある日突然、既読がつかなくなって連絡が途絶えたので、

 心配していたんだけど。

 そうですか。亡くなったかのしれないのですか」

 

 

社長が直近まで連絡を取っていたのはこの人だったんだな、と

なんとなく悔しく思った。そんな気持ちを隠して、

その後、数回メールをやり取りしたが、

あまり深い話はできなかった。

こちらはその半年前に亡くなった父の、様々な物事の整理にまだ追われていたし、

彼は彼で、自分の現況を語るつもりは、あまりないようだった。

 

「山本さんの住所を教えてください。

 何かお土産を送ります」

 

最後のメールでそう言われたので、実家に戻った後の住所を送り返した。

〝また日本に来ることがあったらお知らせください。

 歌舞伎町も変わりました。食事でもご一緒させていただければ幸いです〟

というメッセージを添えて。

 

確か自分より4つ年上だったから、去年、還暦を迎えているはずの彼。

社長の思い出話をしながら、昔懐かしい新宿で、紹興酒でも飲んでみたかったが、

その後数ヶ月返信がなかった。

どうしたのかと思い、こちらから再度メールをしてみると、不達だった。

アドレス自体が消えているようだった。

 

 

それから半年ほど経ったこの6月。

年甲斐もなく朝まで半日飲み歩き、ヘロヘロになって帰宅すると、

部屋に中国からの船便の荷物が届いていた。

円筒状の荷物で、差出人は、上海に所在する会社。

開けてみると中から、古い映画の帆布製カラーポスター。

 

『気狂いピエロ』は、1955年製作。

ジャン=ポール・ベルモンド主演の、ゴダールの映画。

 

「このポスターがかっこいいんですよねー」

 

なんてことを、30年近く前に社長と一緒に行った上海で、

大勢の中国の友人たちと円卓を囲んだ宴席で、

壁に飾ってあったポスターを見ながら

彼に話したことをうっすら覚えている。

 

転居して1年と2ヶ月経って届いた転居祝い。

だいぶタイミングはズレているけど、

宴席での小さな話を覚えていてくれたのが嬉しくて。

 

でも、お礼も言えない。