二軒目のスナックが楽しくて、時間を忘れて飲んでいるうち、

終電を逃してしまって、仕方なく

上野の駅前にあるビルの地下で、去年から友人がやっている

〝歌も歌える終夜営業の隠れ家バー〟で飲んで、

上野発0433の始発に乗って、帰宅する……

これが最近のルーティンと化している。

まぁ、二軒目のスナックに行ってる時点で、

その晩のうちに帰る気なんて、毛先ほどもないんだろうが。

 

その0433始発では、大抵の場合、眠すぎて意識はフラフラ。

でも、電車の中では入眠できない体質なので、

周りで起こっていることは、なんとなくだが、頭に入ってくる。

先週、いきなり耳に飛び込んできたのは、

『何してんだこのやろう!』という、男性の怒鳴り声だった。

 

シャウトする大友康平ばりの音量だったので、

こちらも意識がはっきりとした。

目を開け、声のする方角を見やると、

シートに腰掛けた中年男性が、正面に立っている女性の腕を掴み、

睨み上げながら声を発している。

 

「オマエいま、俺のポケット探っただろ?

昏睡強盗か? このヤロー」

 

口角泡を飛ばしながら叫び上げている中年男性は、

かなり仕立ての良いスーツを着た、推定四十代後半。

一方、腕を掴まれている女性の方は、

クリーム色のセットアップをきた、キャリア風の、推定二十代後半。

 

「ポケットを探った? 何言ってんの?

 アナタがすごいイビキかいた後に呼吸が止まってたから、

 起こしてあげただけよ!」

 

いかにも〝心外な!〟という様子で怒鳴り返す女性。

 

「ウソつけこのヤロー! 昏睡強盗がっ!」

 

「失礼すぎるよ、お父さん。

 それに、昏睡強盗じゃなくて、スリか過睡盗ね、この場合」

 

「ほらみろ、やっぱやってんじゃねえかスリ!」

 

「あん? アンタが歳食ってるくせにモノ知らないから、

 訂正してあげただけよ!

 人に迷惑かけるのもいい加減にしなさいよ!

 イビキも車内中に響き渡ってたわよ」

 

「何わけの分からねえこと言ってやがんだこのヤロー。

 イビキなんかかくわけねえじゃねえかオレが。

 上等だオマエ。ちょっと降りろ。

 駅員に白黒つけてもらおうじゃねえか。この盗人が」

 

 

ちなみに、対峙する二人の酔っ払い度数を、

10を泥酔として見た目や口調から判断すると、

男性の方は9、女性の方は1、と行ったところ。

勝手に想像するに、男性の方は夜通し飲み続けて朝帰宅、

女性の方は徹夜仕事の後、

帰宅前に缶チューハイを一本グビっ……てな感じか。

男性の方は、細マッチョな体つきで肌艶もよく、

大イビキ→呼吸停止の「睡眠時無呼吸症候群」は、

ちょっと想像しにくい感じ。

 

「あたしね、くたびれてんの。

 1時間前まで仕事してたから。

 さっさと帰って寝たいのよ」

 

大きなため息の後、呆れた様子で言葉を発する女性。

 

「降りて駅員のところに行って、

 あたしがスリだとでもいうわけ?

 証拠はあるの? 動画でも撮ってる?

 持ってるわけないよね?」

 

女性の、呆れ冷静口調の見事な返しに、

一瞬黙りこくった男性は、

記録に残したいほど美しい〝鼬の最後っ屁〟を放つ。

 

「う、うるせえ、バーカ。

 いいから降りりゃいいんだよ、ほらっ」

 

再び女性の腕を掴みながら、

立ち上がって一緒に電車を降りようとする男性。

女性の方は…一瞬、深いため息をついたあと、

ゆっくりと男性の手をほどきながら、言った。

 

「本当に勘弁して。

 次の電車まで20分以上空くから、

 降りるのは御免です。

 …いいわ。私、逃げも隠れもしないので、

 この名刺まで連絡してよ。

 きっちりと証拠を揃えて、事件化するならしてください。

 その代わり、そうなったら私、徹底的に闘いますよ。

 あなたが先ほど掴んでた腕も、痣が残ってそうだから、

 写真撮って提出しますね」

 

手渡された名刺を見た男性は、刹那、

信じられないような顔をして、大きくうなだれたあと、

小さな声で言った。

 

「すみませんでした。私が悪かったです」

 

 

「親切のつもりだったのに、あなたの反応は

 すごく悲しかったです。

 名刺、返してもらっていいですか?」

 

男性は名刺を返したあと、しょぼくれた様子で電車を降りて行った。

 

 

て! なんなのその名刺! 黄門様の印籠かっw

 

すごく気になったので、女性に話しかけてみようかとも思ったが、

異常に充血した目をして酒臭い息を吐く

オレのような中年男性に話しかけられたら、

また印籠を出されそうなので、やめておくことに。

 

ホームを見やると、先ほどの男性が

頭を抱えてうなだれ、座っている。

どんだけショック受けてるんだ?

 

クリーム色のセットアップのパンツスーツの女性は、

一体何者なのか? その正体は?

 

真相は次回を待……たなくて良いです、もう会えないんで。