ラグビーのW杯が日本にやってきたのは、2019年のこと。

その年の6月、試合会場に選ばれていた

熊谷市の競技場を取材しに行った。

その数ヶ月後に、日本中があんなに湧くことになるとは

まだ知らなかった、夏の少し前。

 

熊谷駅からバスで数十分の、そのラグビー場を見て回った後、

一人の男のことを思い出した。

 

「うちは秩父宮の近くでさ。家の周りは竹林ばっかりで、

 歩いて5分ぐらいのところにあるお宮さんしか、

遊ぶところがなくてなぁ……」

 

もう、30年近く前に知り合った同い年の彼は、

芸能プロダクションをいくつか渡り歩いて、35の時に

独立して音楽版権の会社を立ち上げた。

残念ながらその会社は3年ほどで見事に潰れたが、

その後は人脈を生かして、様々な「プロ」を

芸能の現場に結びつける、橋渡しの仕事を独りでしていた。

知り合ったのは、彼が有名私大を出て、日本で5本の指に入る

大手芸能プロダクションに入社し、3年ほど経った頃だ。

映画やドラマの制作発表で出会うたび、『この後、ちょっと行く?』と、

どちらともなく顔を見ながら親指と人差し指を半回転させては、

てっぺん過ぎまで、二日酔い不可避の安酒をしこたま飲んだ。

 

そんな彼とは、

40を過ぎてからは1年に1度、会うか会わないか程度の

ありふれた付き合いになっていたが、46歳の時、不意に連絡があった。

 

「オレ、実家に帰ることにした。

 去年、母親が亡くなってさ。誰もいなくなっちゃったんだ、実家。

 幸い、いま住んでいるところを売っぱらえば貯金はあるから、

 しばらくプラプラするわ」

 

「そうか。でも、娘さんはどうする?」

 

「娘も連れて行くよ。あいつも東京は離れたいみたいだ」

 

娘さんが小学3年生になってすぐ、

不登校気味になっているという話は、

前の年に会ったときに聞いていた。

彼の妻は、年老いた両親の介護のために、

家族とは遠く離れて暮らしていた。

 

 

そんな彼に会いたくなった。

〝秩父宮ラグビー場に来てる。会えないか?〟

SMSでそう送ると、すぐに電話がかかってきた。

 

「そこからなら、歩きで30分ぐらいで来られるよ。

 いま、手が離せないから、Googleで探してきてよ、オレん家」

 

歩き出して20分後、タブレットの中の

Googleマップが動かなくなった。Wi-Fiが圏外……。

それでもなんとかグルグル歩き、彼が目印で言っていた

〝〇〇中学校前〟のバス停にたどり着く。

土砂止めの高い壁が連なる低山の麓。

壁の間を、自転車と歩行者用の、やや急勾配の階段坂道が走っている。

登った先には、一面の竹林と、中学校の校門が見える。

 

歩き始めた時に見たGoogleマップでは、

ここから400メートルほど歩いた所に、彼の家はあった。

しかし、階段を上りきった所にあるのは、真横に走る細い道だけ。

右に行けばいいのか、左に行けばいいのかわからない。

 

左右をキョロキョロしながら歩いていると、

正面右手の校門から、女子中学生の三人連れが出てきた。

 

「ごめん! 怪しいものじゃありません!

 〇〇の◆丁目(住所)に行きたいんだけど、

 どう行ったらいいか、教えてもらえないかな?」

 

Tシャツが汗だくの、無駄に日焼けした50絡みのオッサンに、

唐突に話しかけられ、ギョッとする女子三人組。

しかし次の瞬間、三人のうちの一人、

一番賢そうな(偏見失礼)女の子が言葉を発する。

 

「あ、うち、〇〇◆丁目ですよ。一緒に行きましょう」

 

自転車を降りて転がしているその少女は、

自転車を曳きながらスタスタと歩いていく。

 

「あ、道順教えてくれればいいよ?」

 

「林の中の細い道を行くから、説明難しいんです。

 一緒に行っちゃった方が早いですから」

 

53歳男性と中学生女子の二人歩きは、

親子に見えなければ犯罪の匂いしかしない。

ましてや、竹林の中の細道なんて……。

しかもこの女の子、銀縁眼鏡にお下げで地味にしてるけど、

よくよく見ると結構な美少女だし……。

なんてなことを考えながら、なるべく横に距離をとって歩くこと5分。

またも急勾配の階段がある。少し登った先には、鳥居。

ふと、少女が階段の上を指差しながら口を開く。

 

「この上が神社なんです。ここを突っ切っていけば

早いんですけど、私、自転車なので」

 

「あ、そうなの? わかった。ここまででいいよ。

 ごめんね。本当にありがとう」

 

「いえいえ。階段上って、境内の参道を横切って抜けると、

 ◆丁目ですから。そんなにたくさん家がないので、

 すぐわかると思います。じゃ、お気をつけて」

 

賢くて、礼儀正しくて、美しい。三拍子揃った娘さんだなぁ。

そんなことを思い、自転車の後ろ姿を見送りながら

急勾配の階段を上った。そこにあったのは

 

木漏れ日が照らす竹の緑が眩しいほどに綺麗で、

参道で追いかけっこをする男の子や

休憩所の縁側で描いた絵の見せ合いっこをする女の子が、

泣きたくなるほどに懐かしい『お宮さん』。

 

あいつが言ってたお宮さんは、この神社に違いない。

直感的にそう思った。

 

 

「手が離せないって、何してたんだよぉ、ったく」

 

「いや、そば打ってたんだよ。近頃、ハマっててさ」

 

神社を横切ってすぐ、彼の家は見つかった。

玄関を入るなり毒づくこちらを、満面の笑顔で迎えてくれた。

と、そのとき後ろから……

「ただいまーーーー!」と大きな声。

振り向くとそこには、道案内をしてくれたあの子が。

 

「フフ、やっぱり!

お父さんのお客さんじゃないかと思ったんだ。

いらっしゃい!」

 

熊谷に戻って5年。

男手ひとつで、こんなに立派な女の子を育てた

同い年の友人に、初めてリスペクトを感じた、

3年前の6月。