「本物の棘は、綺麗な血しか流さないのよ」

 

柘榴のジュースを飲みながら、真紅に染めた唇から、

そんな言葉が静かに吐き出される。

 

彼女が五歳の時から、口にするもの全てを作ってきた

専属の料理人が、次の朝食メニューをサーブしようと、

彼女の左脇に立った瞬間、布の破裂音がする。

 

「いま、この人と話しているでしょう?」

 

真紅の液体の入ったグラスを持った手で、

純白のシェフコートの裾を払ったのだ。

柘榴の真紅は紫檀色へと変化しながら、

純白の中を、地図を描くように広がっていく。

 

「ほら、綺麗じゃない? 血みたい」

 

微笑みながらこちらに投げかけてくる言葉は、

どこまで行っても空辣だ。

言葉を覚えたての幼女のようでもあり、

人生の辛酸を嘗め尽くした老婆のようでもあり。

 

「私のこと、気味の悪い子供だと思ってない?」

 

思っていた。彼女の祖父に、初めて紹介された時から。

十二歳という年齢にそぐわぬ緩慢な態度と、

対面するすべての人間を諦めさせる、

陽枯れた石を見つめるような空虚な視線に。

 

「リオと東京、どっちが住みやすいのかなぁ…」

 

曽祖父の代に南米に渡った彼女の一族は、

リオデジャネイロと東京に、いくつかの家を所有している。

彼女自身は、小学校入学までを伯国で、それ以降を

日本で過ごしながら、双方を行き来している。

 

「私がこの先どこを選んでも、会いにきてくれる?」

 

東京でもインターで学んでいる彼女の

中学校以降の選択肢には、米英仏もあるのだという。

一族の、同世代の子供たちは世界中にいる。

彼ら彼女らに、この娘が関心を示すことはないが。

 

「ねえ、なんとか言ってよ」

 

媚を含んだ、少しは有機的な視線を投げかけてくる。

時折、こんな態度を見せることを、

事前に彼女の祖父から聞いていなければ、

少し動揺していたかもしれない。

 

 

 

『孫が君と食事をしたいと言っている』

 

とある食事会で知り合い、80年代の南米サッカーの話で

意気投合した、彼女の祖父(六十代前半)から、

突然、そんなメールをもらった。

祖父が目をかけている男が開いた多国籍料理店の

オープンセレモニーで、一族の数人を紹介された、次の週に。

 

『ついてはその前に、私と一献、お付き合い願えればありがたい』

 

メールをもらった翌日の晩に、祖父の方とグラスを交わした。

四十代前半で全てを投げ捨て、女と出奔した、彼女の父親の話。

それ以来、笑顔をほとんど見せなくなった彼女の話。

なぜか、彼女の母親の話は、一片たりとも現れなかった。

 

「父親のことが大好きだったんだ、あの子は。

 だから時折、父親と同年代の人間と話したがる」

 

 

だから今日、ここにいる。

都心にあるタワーマンションの、個人宅とは思えない

広いテラスで、彼女と遅い朝食を摂っている。

その言葉に、何も返せずにいた私を見て、彼女が口を開いた。

 

「祖父から何を聞いてる?」

 

「君のお父さんのこと」

 

「そっか……。でも、勘違いしないでね。

 私、おじさんに、パパの代わりになってもらうつもりはないから」

 

「なんで、こんなおじさんと飯を食いたかったんだ?」

 

「……わかんない」

 

わかんない……を考えている間だけ、年相応の表情になる。

少しだけ、安心した。

 

 

その後結局、彼女は東京での生活を選んだ。

季節ごと、不意に彼女からメールがやってくる。

 

「うちのテラスから見る、台風直後の夕焼けは綺麗だよ」

「さっき食べた胡桃が美味しかった。ちゃんと歯医者、行ってる?」

「いい散歩道を見つけたよ。小川に脚、浸けられるとこ」

 

こちらも同じく30文字程度で返信しようと思うが、

どんな原稿よりも時間がかかって困る。