第6回 磐梯高原猪苗代マラソン  | たつにいさんのブログ

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マラソン、トレイルランニング、ツーリング、エンデューロレース

3月11日に起こった「東日本大震災」の影響で、当初予定されていた7月9日から、9月3日に変更されたこの大会。
震災の影響で福島原発事故が起り、放射能の汚染により県内外の被災者多数。
今回のメイン会場である「リステル 猪苗代」(ホテル)にも、福島原発が原因で強制的に住みかを奪われた住民の方々が、不自由な避難生活を送っている。
それに東北近県のみならず、各地のイベントも自粛ムードで中止が相次ぐ。
この大会も「ひょっとしたら、中止では?」と思ったが、無事変更された9月3日に開催された。
自分も不安な事から、エントリーもギリギリの、8月末に済ませた。
さて、今回のコースだが、日本で4番目に大きい「猪苗代湖」を周回する、アップダウンの多い道だ。
クラス分けとしては、ナンバー1,000番台が100km、2,000番台が65km、3,000番台がフルマラソンだ。
実は猪苗代湖を1周すると、約65kmある。
だから、65kmの部に参加するランナーは、この猪苗代湖を1周すれば良い。
だが、100kmの部に参加するボク達は同じコースを折り返しする事になる。
この猪苗代湖を望める「布引高原」と言う、風力発電所の風車がが立ち並ぶ山がある。
当初の予定では、この高原まで上る予定だったが、折からの台風の影響で、高原までの道が寸断されて、コース変更を余儀なくなれた。と言う事であった。
この高原は上り詰めると確かに景色は良いが、上るまでの道程が非常に厳しい。
今回「カットになって、良かった。」と思ったランナーは多くいた事だろう。
自分もその一人だ。(笑)
しかしながら、高原に上らずとも、湖の周囲の道もアップダウンが多いので、後半に苦しい思いをするのは必至だ。
だが、苦しい思いをしたくなければ、日頃からキチンとトレーニングしておけば良いだけの話。
なんでもかんでも、他人のせいにしてはならない、自分の周囲に起こる不幸や苦しみ、結果は「全て自分が招いたもの。」なのだ。
相手や自分の置かれた状況を悲観する前に、まず自分の生活態度や志を正すべきだ。
また、逆に嬉しい事や楽しい事も、自分の努力の結果なのだ。
レース前に送られて来た参加案内書には「当日の駐車場はありません。公共の交通機関を利用して下さい。」との事であった。
朝5時前に公共の交通機関が営業しているはずは無い。
何を考えて案内を送ってきているのだろうか?
仕方ないので、前日にスタート&ゴールである「リステル 猪苗代」に宿を取る。
素泊まりで7,000円弱だった。
自宅から約1時間の場所に泊るのは、アホらしいが致し方ない。
前日受付に行くと、スタッフのおっさんから「いい身体しているねー。」と三角筋から、上腕二頭筋付近を触られる。
「俺の身体は女以外触らせないんだ。触るんじゃねぇ。」とおっさんに言うと、おっさんは大爆笑。
もともと当初は、前日に宿泊する予定ではなかったので、晩ごはんについては何も考えていなかった。
しかし、3,000円支払うと、マラソン前夜の「懇親会」に参加出来る。
「せっかくなので、新しい友人でも出来れば。」と参加する事に。
懇親会の前に、ひとっ風呂浴びたかったので、ホテル内の風呂に行く事にした。
しかしなんだか、大浴場まで何度もエレベーターに乗る、面倒臭い思いをしながら館内をウロウロする。
やっと辿り着いた大浴場の露天風呂も、真っ裸の醜態を晒しながら階段を何段も上り、行かなければならない。
なんだか綺麗な割には不便なホテルだ。
懇親会会場に行くと、結構な人数の方々がいらっしゃる。
そして食事は立食の、ビッフェスタイル。
会津名物の「こづゆ」から、エビフライ、唐揚げ、アジフライの油ものから、サラダ、味噌汁、カレー、スパゲティ、中華饅頭、しゅうまい、果物、ケーキ等のバラエティに富んだものだった。
中でもビールや焼酎、酒、ワイン等のアルコールが飲み放題がとても嬉しいではないか。
自分はマラソン前夜にも関わらず、好きなだけビールを飲んだ。
わたくしがいたテーブルには、67歳で萩往還に参加されていたランナーがいた。
彼は今までに、140kmを3回、250kmを20回完走したと言う事であった。
「世の中にはスゴイ人がいるものだ。」と感心する事しきり。
また会場では、地元のバンドの方々が、懐かしのオイールデイズ(ザ・ピーナッツやベンチャーズ等、親世代が聞いていたであろうナンバー。)を会話が出来ないくらい喧しく演奏していた。
懇親会終了後に、参加者全員に「猪苗代ワイン」が配られた。
自分はこれを部屋に持ち帰り、寝る直前まで飲んだ。
部屋でくつろいでいると、激しい雨が窓を叩き、磐梯山から吹き下ろされたであろう強い風が、建物を揺らす様に吹き荒れていた。
時折窓がガタガタと音を立てるので、「また地震か?」と思う程の風雨だった。
スタート前のショット脹脛の肉離れで1ヶ月以上走れなかった。
不安いっぱいで100kmを完走を目指す。
ウルトラマラソンや、トライアスロンのロング等は、スタートが朝5時と異常に早い時刻になる。
この大会もご多分に洩れず、やはり5時スタートだ。
前日から「早く眠ろう。」と思って、午後21時に就寝。
しかし、午後23時30分頃目が覚めてしまい、そのまま朝まで寝むれず。
眠れないのは、いつもの事なので、別に焦りはしないが、これから100kmを走るとなると、多少は不安になる。
何故不安なのかと言うと「寝不足だと、吐き気がして気分が悪い。」ので。
最悪の場合吐き気がすると、走るのに必要なエネルギーが、コースの各所に設置されたエイドで摂取出来なくなる。
それよりも心配なのは、7月末に左の脹脛を痛めてしまい、全くランのトレーニングが出来ていない。
約1カ月もの間「全く」と言って良いほど走っていない。
8月の月間走行距離はなんと、23km程度。
それで「100kmを無事完走出来る。」とはとても思えなかった。
それにこの大会の2週間前に出場した、トライアスロン大会でまたも痛めた脹脛の痛みが再発。
だが、やれるだけの事はやった。
走れない分、ジムのエアロバイクで、足を使う事を意識して毎日頑張った。
そしてスポーツショップで、脹脛専用のサポーターを購入し、それを巻いて走る事にした。
しかしながら実際、走り出してしまえば、その吐き気も痛みも忘れてしまい、曇天の空の彼方に吹き飛んで行ってしまった。
「何はともあれ、走れるだけで良いや。」と楽観的な思考にスイッチが入れ変わった。
レーススタート前から、小雨が降ったり止んだりの天候だったが、何とか走れそうな感じだ。
未明からの暴風雨は、小雨に変わっていた。
「よーいスタート。」と言う、あっけない掛け声と共に100kmの長い道則が始まった。
今回の目標は「まず完走する事。」
キロ8分から9分程度の速度で、行ける所まで行って、残り時間は歩いても、制限時間14時間以内でのゴールを目指す事にした。
スタート直後は、猪苗代町の田園地帯と住宅街を走る。
そして国道49号線沿いの「野口英世館」、「世界のガラス館」などの観光施設を通り、山がちな狭いコースになる。
分岐に出ると、直ぐに湖岸を望むコースとなり、しばらく湖を見ながらの併走。
暗い空から大粒の雨が落ちて来て、ランナーに襲いかかる。
数名のランナーは雨カッパを着用して走っていたが、ボクは何も用意していなかったので、とても寒い思いをした。
思わずトイレに駆け込み、小用をする。
国道49号線を外れ、山道に向かう。
16kmを過ぎた所で心配していた脹脛が痛みだしたので、鎮痛剤を飲んだ。
こんな早い段階で痛めた脹脛が再発するとは・・・・・。
40kmの看板を過ぎた時に、前を行くランナーに話しかける。
(彼とはこの後、70kmくらいまで、ずっと並走しながら会話する事となる。)
彼は岐阜から参加しているランナーで、65kmに奥さんも参加していると語っていた。
過去4回参加している「阿蘇カルデラスーパーマラソン」は、約2.5km毎にエイドがあるのだが、この大会は5km毎で少ない。
参加する時は、是非水分補給の為に、ボトルを携行して欲しい。
エイドでは、パン、バナナ、オレンジ、すいか、かき氷、そうめん、いなり寿司、おにぎり、うめぼし、等の食物を摂取出来る。
水ものは、スポーツドリンク、水、お茶だ。
当初の計画通り、キロ8分程度の速度で確実にコースを走破して行く。
台風12号の影響か、時折強烈な雨風が、ランナーの行く手を遮るかの様に吹き荒れた。
余談だが、今回の台風。
「この台風でマラソン大会が中止にならないかな?」と思った。
何故なら先の理由で、満足なトレーニングが出来ていないからだ。
また、その反面「トレーニング不足で何処まで行けるのか?」と自分を試したくなる気持ちもあった。
その相反する気持ちを持ちながら、当日を迎えたのであった。
50kmを過ぎた時に、前日の懇親会で知り合った、ウルトラランナーに出会った。
彼は65kmに参加なので、ここで対面になりゴールへ向かう。
ぼくは後残り50km残っている。
心配した脚の痛みも無く、ここまではマイペースで順調に走れている。
そしてしばらく走ると、ぼくが通うジムで、これまた知り合いになったトライアスリートに出会った。
彼もまた65kmに出場なので、ここでお別れ。
エイドに寄り、稲荷寿司、オレンジ、バナナを口に放り込む
コースは湖岸を走るコースだが、場所によっては鬱蒼とした林の中を走る。
トレーニング不足が祟ったか、65kmを過ぎた頃から段々と足裏から脹脛に鈍痛が走る様になる。
エイドに用意されていた、パイプ椅子に腰かけかき氷を食べた。
そして70kmを過ぎ、75km地点の折り返しの坂道で、不覚と言うか当然の如くあまりの足の痛さと、重さに耐えかねて歩きが入る。
折り返しのエイドでは「あと25kmです。頑張って下さい。」とハッパを掛けられる。
さらっと「あと25km」と言うが、なかなか長い距離ですぞ。
この疲労感が蓄積した脚には・・・。
そして80km地点の看板を通り過ぎた頃に、突然の土砂降りの雨となった。
自然のシャワーを浴びながら、歩いたり走ったりの繰り返しで、残りの距離を縮めて行く。
85kmを過ぎた頃から走りより歩きの時間が長くなり、90kmを過ぎた頃には、殆ど走ると言うよりも時速6.5km程度の早歩きとなった。
最後のエイドで、スイカ、バナナ、オレンジ、パンを食べ、フィニッシュラインを目指す。
国道49号線沿いを道をひた走り、田園地帯へ「一体フィニッシュ地点のリステル猪苗代」は何処にあるんだい?」と言う感じになる。
「残り5km」と書かれた住宅街の道を右へ左へ折れ曲がり、再び田園地帯に入る。
山影にホテルが見えるが、なかなか近づいて来ない。
ぼくの先に行くランナーに追い付いたので「もうすぐですね。お互いに頑張りましょう!」と声を掛ける。
すると彼は「いやあ、もう脚がガチガチで動きません。」と苦しそうな表情で答えた。
「残り3km」の看板を過ぎ、エイドで水を飲む。
またも前方を行く女性ランナーに追い付く、彼女は3,000番台のナンバーカードを付けていたので、フルマラソンに出場のランナーだ。
確かフルマラソンは、午前10時スタートだったので、彼女は今の時刻を考えると、実に7時間近く走って(歩いていた?)と思われる。
彼女と少し話をして、先を行く事にした。
「あと残り2kmだよ。ラストスパート!」と、交通整理のおっちゃんに言われるが、苦笑いで「ムリムリ」と答える。
今の自分の実力では、98km走って来た脚でラストスパートなんか掛けられる訳が無い。
情けないが、それが現実だ。
脹脛を痛めたのも、それも自分の実力だ。
「まだまだ努力が足りない。」と言えよう。
「残り1km」の看板を前にして、黄色いランニングウエアを来たランナーと話をする。
そのランナーは、山形県の米沢市から、今回5人のメンバーと参加したと話していた。
「メンバーの中で、恐らく自分は2番目でゴールするだろう。」と嬉しくも感慨深げに語っていた。
ボクが「じゃあ、ラストはお先にどうぞ。」と言うと「ここまで来たのだから、最後は一緒にゴールしましょう。」と嬉しい事を言ってくれた。
そして彼は、フィニッシュラインを越えると同時に、ボクの腕を握り、そして空に向かって振り上げてくれた。
100kmの道程を越えて来た、同朋のみ解りあえる瞬間だ。
周囲のボランティアスタッフに「どうもりがとうございました。お世話になりました。」と挨拶し、完走証と参加賞のTシャツとペットボトルの水を貰う。
今回自分はエイドに寄る度に、スタッフの方々に「どうもありがとうございました。」「お世話になりました。」「御馳走様でした。」と頭を下げた。
自分達が好き勝手、好き勝手な事をやっているのにも関わらず、その好き勝手な輩のお世話とボランティアを引き受けてくれる方々には、深く深く感謝しなければならない。
本当にありがたい事だ。
フィニッシュ後は、兎に角空腹が我慢出来ない程だった。
この大会は、大会前も大会後も、何故か食べ物が出ない。
参加費は、他の大会とはなんら変わりは無いのに・・・・・・。
何でも自分で用意するしかないのだ。
今回この大会初参加の自分は、阿蘇カルデラスーパーマラソンの様に「フィニッシュ後食べ物が出る。」と踏んでいたので、何も用意していなかったのだ。
ホテルの自動販売機で、冷凍おにぎりと冷凍唐揚げを購入して食べる。
そして「ランナーのみなさん、お風呂がありますので、入って下さい。」とボランティアに言われる。
しかし、その風呂は、なんと3階にあるのだ。(笑)
100kmを走り終えて、ガチガチにり、真っすぐにならない膝を、無理やり曲げたり伸ばしたりして手摺に掴まりながら、3階まで「フウフウ、ヒイヒイ」言いながら上る。
自分よりも先にゴールし、長い距離を乗り越えた同朋ランナーが、階段ですれ違い様に「おつかれさま。」と声を掛けてくれた。
「ああ、そうなんだ。みんな自分と同じなんだ。」と思うと、笑いが出て来る。
自分もやっとの思い出、ウエアを脱いで風呂へ向かう。
風呂に入ると、みんな疲れてきっている様で、誰もが黙りこくっている。
ある者は、湯船で目をじっと閉じ、ピクリとも動かない。
ある者は、もう疲れきって自由に動かないであろう、手足の痛みを我慢しながら、身体を洗っている。
そしてある者は、脱衣所に到達したは良いけれど、ウエアを脱ぐ元気も無く、ただ床に座り込んでいた。
風呂を上がると、何やら周囲がザワついていた。
話を聞くと「コース途中のガード下で、意識不明のランナーが倒れている。」と言う事であった。
倒れたランナーは、己の力を振り絞り最後の最後まで頑張ったに違い無い。
幸いにして自分は、最後まで走り切る事が出来たが、1歩間違えば彼の様に倒れていたかも知れない。
100kmを越えるウルトラマラソンも、参加者の数だけ色々なドラマがある。
それは個人の人生とも深く関わっている。
あるランナーは「100kmを完走したら、彼女と結婚する。」と約束していた。
その約束を果たす為に、彼は必死で走った。
彼女はそぼ降る雨の中、彼のゴールを待った
そして2人は・・・・。
他にも制限時刻の午後19時を過ぎても、最後まで諦める事無く、ゴールに向けて走り続け、そして歩き続けるランナーの姿が見えた。
暗闇に浮かぶその姿は、一見頼りなさそうに見えるが、歩を進めるその脚には力強い意志が込められていた。
何があろうと続ける事、それが大切だ。
苦しくとも・・・・・、いや苦しいと解っていても。
それが自分に一番シックリくる人生だから。

 

第6回 磐梯高原マラソン結果
「100km男子部で参加
タイム:12時間17分49秒 76位
100kmコース男女出走人数: 260人
65kmコース男女出走人数: 211人
42.195kmコース男女出走人数: 334人
大会総参加人数:805人(うち完走者:不明、)完走率:不明%
参加費:14,000円
参加賞:Tシャツ、水
食事:なし
【大会当日天候】
雨のち時々曇り