ダートスポーツカップ2001 オートポリスサーキットエンデューロ第1戦 ゲーリーエンデューロの巻 | たつにいさんのブログ

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マラソン、トレイルランニング、ツーリング、エンデューロレース

全世界が注目していた21世紀。
その21世紀に満を持して開催された「ダートスポーツカップ2001 オートポリスサーキットエンデューロ第1戦」(タイトルが長いっちゅうねん。)
参戦前日の土曜日早朝5時頃より、急に胃に激痛を感じ、同時に激しい下痢と嘔吐に襲われ38°の熱を併発し、夕方まで苦しんでいた。
そうです。「食中毒」なのでした。
レース参戦時は「ニセカーボローディング」を実施している、わたくしは肉を食べない様にしているのですが、我愛妻が「すき焼きに入ったうどんが食べたい。」と言うので、仕方なくすき焼きをしたのですが、その中に「ヤツ」がいたのでしょう。しかも、わたくしだけラッキーくじを引いたのでした。
愛妻の仕事が終るのを、痛みと熱で自宅で唸りながら待ち、午後7時前下関を出発。
途中午後9時頃玖珠で、うどんとウナギの定食を食べたのだが、味が濃い過ぎて残してしまった。
依然下痢状態は続いている。
午後11時を少し過ぎた頃「オートポリス」に到着。
レース地に向かう途中、寝る前に「トイレに行こう。」と、トイレ方面に行くと何処かで見たようなワゴン車。
中には満面の笑顔を浮かべて、こちらを見ているHARADAくんが居た。
「あらー明日でるの?」と話しかけると「そうです。練習がてら出ようと思って。」と前にも増した「二重丸の笑顔」で答える。月明かりの下で2~30分立ち話をした後、御互いの車の中で寝た。(当たり前か)

腹の激痛で目覚めた午前5時20分。
トボトボ歩いてトイレに向かった。
一夜明けた朝も下痢は、続いている。
「線路は続くよどこまでも」を替え歌にして歌いたい気分であった。
朝、珍しい方が現れた。
HALレーシングにHIROさんだ。
今回は奥様と、生後3ヶ月の愛娘を連れての参戦。
しかし、HIROさんはバイクを積む時に、ステップで足をはさんで怪我してしまい、悲痛な顔でうな垂れていらした。
痛そうに足を引き摺るHIROさんを見て心が痛んだ。
レースのスタートは5台ずつのスタート。
コースの80%はフラット。
スピード出る出る。
早速HARADAくんがわたくしを抜いていく。(仕方ねーな。と心の中で呟く)
天気が良い為、砂埃が凄い。
ストレートでは前が見えずたまらんかった。
レース中盤で、左手の痛みが増して来たと同時に、リヤブレーキを止めているボルトが落ちて、リヤブレーキが全く使えなくなった。
しかしフロントは正常に使えるので、フロントブレーキのみで残りを走った。
とりあえず2回程前転し、頭から地面に叩きつけられた。
しかし、中学生の頃から見ているプロレス式の「見せる受身」を体得しているので、怪我を負う事無く、走り続ける事が出来た。
レース途中HARADAくんがピットでなにかしら作業しているのを見た。
レース終了後聞けば「焼き付いた!」らしい。
マフラーを外すと「ピストンの粉が出た。」
「プラグを外すと頭が溶けていた。」と伏目がちに語ってくれた。
しかし、HARADAくんが憂き目にあったお陰で、わたくしは「たなぼた」の3位を獲得する事ができた。
HARADAくん!次回の「北九ED第3戦」でうっぷんを晴らしてくれたまえ。
それから、頼まれた「裏・裏ビデオ日本人版」ダビングして持っていくから。(まさかダビング用のテープまで持ってくるとは思わなかったよ。好きモノだね。)

視聴者プレゼントの御知らせ!
HARADA選手ファン垂涎の2品
1)マフラーより出たピストンの粉  これを煎じて飲めばHARADA選手の様に速くなる?
2)頭の溶けたプラグ  御部屋のアクセントとして、また首からぶら下げればアクセサリーに。
欲しい方は、九州の何処かのEDレース会場で、レース当日の朝ブラブラ歩いているHARADA選手に直接御願い、交渉してみて下さい。(悪い顔はしないと思いますけど、いい顔もしないと思います。)
開催日2001年6月3日