人生の遮断機。 | 私の闘病と懺悔~償い~

私の闘病と懺悔~償い~

私の未熟人格と病気により苦しめ地獄へ落としてしまった
大切な家族と周囲の人々。
そして宝物の「あの子」。

私が病気と認めたのは、やっとの32歳。
私は人生で初めて危機感を持ち、人間復活を目指して
死に物狂いで闘病しながら、償いをする日々です。

これを読む方々は、
どう解釈されるでしょうか。
十人十色、人それぞれです。

電車の踏み切り板が遮断機を下ろしますと
我々は黙って止まって待ちます。
遮断機が下りれば電車が来るものと信じているからでしょう。
しかし、よくよく考えてみれば、
それは逆でして電車が来るから遮断機を下ろすのです。
遮断機が下りなくとも電車の来るのが見えれば誰しもが止まって待つのが常識です。

◯◯な人間は、
ここに抜け出せぬ大きな落とし穴があったのです。

人間は誰も皆んな人の子であると同時に
やがては人の親になります。
これと同様に自分が沢山の人々、
あるいは愛してくれる人の支えによって
生かされているという事が分かれば、
やがては沢山の人々、
愛する人を生かしてゆかねばなりません。
こうした人の誠の道を会得すれば
精神的成長、人間的成長するのは常識です。

これ程ハッキリと分かっている道理を
本末転倒しているが為に、
失敗の繰り返し、進歩なく過ちの繰り返し、
年齢だけを重ねる未熟人格者となり、
精神年齢が幼く成長と進歩なく社会適正が
上手くいかずに人生も上手くいかなくなるのであります。
又は逃げ腰になり臆病の繰り返しを続ける訳であります。
又は精神病から抜け出せぬ大きな原因ともなる訳であります。
人の誠の道を前進させる為に
愛の思想育成」の精神療法が必要となってくるのです。


とある精神病院の名誉会長のお言葉 ↓

精神病とは非常にやっかいな存在である。
人生の邪魔となるやっかいな存在である。
しかし、抜け出せぬ大きな原因は必ずある。
それを見つけるのは自分次第。
自分が気付かなければ誰が教えても無理だ。
しかし精神病や病名に操られ負ける患者は
山のように存在する。
精神病になったから仕方がない
精神病になったから出来ないのは仕方がない
精神病になったから出来ない事が増えるのは仕方がない
精神病になったから…精神病になったから…
精神病とは非常にやっかいな存在である。
アルコール依存症、合併症、パニック障害、
全種鬱病、統合失調症、ギャンブル依存症、
様々な障害、本当にやっかいな存在である。
精神病とは非常にやっかいな存在である。
しかし!
末期の癌。余命3カ月。
手の施しようのない末期の癌。
これに比べると実に助かる見込みのあるものであるのです。
患者はここを見ない。気付かない。
家族すらここを見ない。気付かない。
最近の精神科医、全国の精神科医、
今の時代の精神科医すら見ない。気付かないのです。本当に時代は変わってしまった。
大阪の和泉市は全国屈指の精神病院が集まっている町であります。全国屈指の精神病と真剣に深刻に前向きに向き合っている町である。
私はこの精神病屈指の町の名誉会長として声を大にして言います。
精神病とは末期の癌、余命宣告の病に比べると必ず抜け出せる存在である。
必ず克服できるのであります。
立つか立たぬかは自分次第。
抜け出せぬ大きな原因を見つけるのは自分次第
身を委ねるのも自分次第。
いつまでも苦しむのも自分次第。
君達は、まだ末期の余命宣告の病気になっていないんだ。精神病…笑っていこう!

最後に。
私は精神病を病気とは一言も言っていない。
それに気付きましたか?
精神病とは病気ではありません。
心の悩み」なのです。
異状意識の状態の根本原因を見つけ
回復ではなく快復させれば克服は可能だ!

                       ~先日の記念大会のお話にて。